同時にオースティンはよき教育者でもありました。小さな子どもから大人まで、音楽に親しみ、音楽を理解できるために彼は尽力しました。そんな彼の作った楽曲のひとつ、この「人形の夢と目覚め」もピアノを習う初期の段階で取り組むことの多い楽曲です。日本でもそれは同じで、筆者自身、ごく幼い頃にこの曲を弾いた記憶があります。
この製品の開発にもそんな日本の音楽教育の背景が大きく影響していました。ノーリツ社の広報に取材したところによると、1995年の製品開発当時、担当した社員の発案で、この曲に決まったといいます。
この開発者は幼少期にヴァイオリンを習っており、その隣のピアノ教室に通う子どもたちが弾くこの曲が耳に残っていたというのです。それくらい、この楽曲は音楽教育の分野に広まっているということになります。
遠く離れたドイツ・ベルリンのピアノを習う子どもたちのために作られた楽曲が、時を経て、海も渡って日本のお風呂タイムを演出していることを思うと、改めて音楽の持つ力や不思議な魅力に気がつきます。
さて、このお湯張り完了「人形の夢と目覚め」メロディの音源制作について、製品を作っているノーリツ社から、面白い話を伺いました。
当初は他の家電製品の大部分がそうであるように、楽譜をパソコンに読み込ませて、電子音でメロディを作っていたとのことですが、改良の際には人の演奏をベースにした音源に変更されたそうです。
いったんシンセサイザーの生演奏をコンピューターに保存し、その演奏音を鉄琴の音に変換したものが現在製品から聴こえている音楽です。これについて、開発者は「人が弾くものをそのままデータにしたほうが耳馴染みがよかった」からだと説明しています。
この意見は音楽を生業にする人、プロ奏者たちの大きな勇気になるのではないでしょうか。今では楽器に楽譜データを入れておけば自動で演奏できる装置はたくさん存在します。
またAIによって、作曲もできるようにさえなっています。ただ、こうした機械による演奏では音楽的ではないように聴こえる、人の心には響いていない、ということです。
例えば、楽譜を入力しての自動演奏では、まさに楽譜のとおり、正確に平均的に4分音符は4分音符の長さで再生され、1小節の中の同じ音符の長さは正確に均一化します。
渋谷ゆう子 著
しかしながら、人間が演奏する場合、例えばそれぞれの指の長さや弾きやすさ(ピアノであれば、人差し指と薬指では弾きやすさが変わってくることは想像できるでしょう)の違いや、その音楽、メロディが意味するところ、次の音に行くための空間や余裕などでも、少しずつ違っているはずなのです。
もちろん卓越した演奏技術を持つ奏者であれば、機械のように完璧に近い演奏もできるでしょう。しかしながら、音楽には技術的なものだけでない、人間らしさや不完全さがある種の味わいとなり、人の心に届いているという事実がそこにあるのです。
一日の最後にお風呂に入ってほっと一息つく。このリラックスタイムの始まりを告げる音楽には、そうした人間による人間のための心遣いがつまっていたのでした。