政治家は、目的と報告が義務づけられる海外出張をせよ

 そこで提案であるが、政治の世界においていまだに使われている「外遊」という言葉を積極的に使用禁止にしてはどうか。

「外遊」に明確な定義がなくて、何でもありになっていることが、政治家のこうした行動を誘発していると思われるからだ。「遊ぶ旅」など論外だし、今やこれらの行為が「遊軍」的な付け足し、あるいは無目的な業務であっても困る。

 思いつきで、外国に出かけ、継続性もなく、“一見さん”として相手国の要人に会ったところで何の成果も見込めない。今後は、ビジネス社会と同様にこれらを海外「出張」と呼び、あらかじめ目的を明確に定め、その結果について報告を求め、正当な評価を行う。また、政治家本人も、不当な批判を避けるためにも、出張における成果(今後の期待も含めて)を積極的に発表し、その重要性と貢献を広く伝えるのだ。

 政治家にとって、内政が重要であることはむろん否定しないが、内政の充実のためには、目的をもって外部との関係を良くし、付き合いの幅を広げ、新たな知見を交換することも、同じか、それ以上に重要である。

 特に、現在のように地政学的なリスクが大きくなり、また地域の発展においても外国とのつながりが必要になっている時代には、国家や地域のリーダーである政治家は、外国との関係をより強化していかなくてはならない。それを考えると、「外遊」ではなく、前述の3つの活動(取引先〈候補含む〉の表敬訪問や周年式典などへの出席、定期的なビジネス課題の共有と方針の決定、特定の課題の遂行)を含む「海外出張」を日々の業務に組み入れて、海外に出ることを常態化してほしい。

 かつては、ビジネスにおいても、「外遊」(遊びも少しはあり、遊軍的でもある)という言葉を使うのがふさわしい時期もあった。ところが、円高の克服のために外国へ直接投資を行い、サプライチェーンなどをグローバル化させていくなかで、前述の3つの活動のように、明確に内容や目的を定義した出張のみが行われるようになった。

 そして、企業のトップやマネジメント層が海外に赴く際の活動の内実が変化することによって、「外遊」という言葉自体がなくなり、気がつくと誰も「外遊」などとは言わなくなっている。「外遊」という言葉をなくすだけでは本質的な改革につながらないという意見もあろうが、ビジネスの例にならえば、「外遊」という言葉を残すことの意味はあまりないように思われるのである。

 今後は、政治家が「海外出張」したのであれば、その成果について説明すべきであるし、それを有権者は強く求めていかなければならない。仕事の定義を明らかにし、その定義に沿ってチェックすれば、政治家としての業務・義務を果たしている政治家と、そこそこの政治家と、単なる物見遊山に明け暮れ、何もしていない政治家が明確に区別できるようになるだろう。しっかりと見守り、チェックすることで良い政治家の出現比率も高まるはずである。

(プリンシプル・コンサルティング・グループ株式会社 代表取締役 秋山 進、構成/ライター 奥田由意)