首相になるための
2つの「最良の条件」
「総理大臣になる最良の条件は、国会議員の息子に生まれ、父親が早く死ぬことである」というと驚かれるが、安倍晋三元首相も岸田文雄首相もまさにそうなのだ。
岸田首相は、日本長期信用銀行(現SBI新生銀行)に7年勤めたあと、31歳の時に代議士だった父親・文武の秘書になった。しかし、文武は議員5期目途中、親戚である宮澤喜一が総理だった1992年に、65歳で閣僚とならないまま亡くなってしまった。
そこで、岸田首相が1993年の総選挙で、弔い合戦を演出してトップ当選した。36歳という初当選の年齢としては恵まれたスタートを切った。
この総選挙で初当選した同期には、安倍元首相もいたが、こちらも父の晋太郎が67歳で亡くなったのを受けて立候補した。そして、安倍元首相は2005年に41歳で官房長官に、2006年42歳で首相に就任し、翌年の改造で44歳の岸田首相を再チャレンジ担当相として抜擢した。
ほかの首相経験者をみても、羽田孜元首相は父親が病気により66歳で引退、橋本龍太郎元首相の父である龍伍は56歳で喉頭がん、小渕恵三元首相の父である光平は54歳で脳溢血(いっけつ)により亡くなったし、小泉純一郎元首相は自身が27歳の時、父の純也が65歳で亡くなった。
首相経験者に世襲議員が多いのは、初当選が若いケースが多く、また、閣僚などに抜擢人事で登用されることも多いため、首相になるチャンスを得やすいのが理由だ。
いずれにせよ、岸田首相は安倍元首相と似た経歴であるし、仕事もけっこうしているのだが、大宰相といわれないのは、どうしてなのか。岸田氏の係累と経歴から解き明かしていきたい(詳しい系図などは『家系図でわかる 日本の上流階級 この国を動かす「名家」「名門」のすべて』清談社所収)。