夜の街の人脈がフィリピンに向かわせたのだろうが、その経緯も詳細も現在のところ明らかになっていない。寺島が日本への送還以来、事件に関して一貫して黙秘を続けていることに起因している。おそらく、一連の事件の判例からしても「かけ子」をしていた寺島の実刑は免れないだろう。

「ナミ」を“応援”するネット掲示板には、罪を認めて反省の態度を示し、情状酌量を得れば減刑されるのでないか、という意見が散見される。現在の司法が反省を促す場ではなく、過去の判例から単純に刑期を当てはめるだけの「作業」となっている以上、それも言下に否定はできないと感じるが、何より寺島は黙秘を貫いているがために、保釈すら認められていない。

書影『「ルフィ」の子どもたち』(扶桑社)『「ルフィ」の子どもたち』(扶桑社)
週刊SPA!編集部特殊詐欺取材班 著

 ただ、「黙秘」という選択に、周囲の目を気にすることなく、自分の選択した道を信じて進む寺島の“意地”というものが垣間見えないか。すでに日本で逮捕状が発布され、フィリピンにも手配書が回っていた2023年2月末、寺島はフィリピンの入管施設をビザ延長のため自ら訪れ、そこでそのまま拘束された。その時すでに「ルフィ」ら幹部は日本へ強制送還され、グループは瓦解していた。そこで、入管職員から「Can you speak English?」と問われ、ほとんど返答できなかった。

 カネを稼ぐ手段もなく、英語も理解できなかったのだ。それでもフィリピンでの生活を続けようという意地はあった。寺島は27歳になっていた。