厄介なことに、そういう人物を事前に見分けることはほぼ不可能です。事後的にしかわからない以上、誰に対しても事前に権限を渡さないというルールを自分に課すべきでしょう。権限を与えた人間が善から悪に豹変してしまうことだけは避けなければなりません。

その信頼、本当に必要ですか?

 ここで考えたいのは、そもそも他人を信頼する必要があるかということです。これまでお話ししてきたように、いつでも人はいいようにも悪いようにも変わります。信頼するから裏切られるのであって、そもそも信頼しなければ裏切られることはありません。

 裏切られるリスクを負ってまで、他人を信頼する必要が果たしてあるでしょうか。もちろん、自分の結婚式のスピーチやチームで進めるプロジェクトなど他人を信頼して仕事や権限を任せるしかないシーンは多々あります。人間は社会的な動物であり、一人で物事が完結しないことのほうが多いかもしれません。

 しかし、そうした場面でさえ「何かが起こるかもしれない」と最悪の事態を想定しながら動くことは危機管理においてとても重要です。「信じて託す」「全幅の信頼を寄せる」ことは、一見すると素晴らしい人間関係に恵まれたと考えられる傾向があると思いますが、リスクと天秤にかけたとき、果たしてそれだけの価値があるかと言われると私は疑問です。そこまでの信頼は本当に必要ですか? 脇の甘さに繋がっていませんか?

 水原氏の事件をきっかけに、他人をどこまで信頼するのかという点について考えてみてはいかがでしょうか。これは生き方や価値観に関わってくる話ですので、正解はありません。

身近な人間の変化を見逃さない方法

 先ほど、人は変化するものだと言いました。ここからは、「身近な人間に変化があったことを見抜く方法」をお伝えします。これは、大谷選手と水原氏の金銭問題のようなプライベートにおける信頼関係だけではなく、ビジネスにおいてチームで仕事をするときのマネジメントなどにも活用いただけると思います。