いま人類は、AI革命、パンデミック、戦争など、すさまじい変化を目の当たりにしている。現代人は難問を乗り越えて繁栄を続けられるのか、それとも解決不可能な破綻に落ち込んでしまうのか。そんな変化の激しいいま、「世界を大局的な視点でとらえる」ためにぜひ読みたい世界的ベストセラーが上陸した。17か国で続々刊行中の『早回し全歴史──宇宙誕生から今の世界まで一気にわかる』(デイヴィッド・ベイカー著、御立英史訳)だ。「ビッグバンから現在まで」の138億年と、さらには「現在から宇宙消滅まで」に起こることまでを一気に紐解く、驚くべき1冊だ。本稿では本書より特別にその一節を公開したい。
「無から何かが生まれた」とはどういうことか?
人間の考えには、「何かをつくるためには、どこかからその材料を持ってこなくてはならない」という論理が深く根づいている。
熱力学第一法則を平たく言えば、そういうことになる。「物質もエネルギーも、創造されることも消滅することもない。ただ形を変えるだけである」というのがこの法則だ。ところが宇宙は無から出現したかのように見える。
しかし、ビッグバンの瞬間、宇宙は異常な高温(142ノニリオン・ケルビン)であり、そこには何の法則もなかった。熱力学第一法則もなかったし、無から有は生まれないという考えが成り立つ因果も存在しなかったのである。
さらに、ビッグバンの10のマイナス43乗秒後の宇宙はきわめて小さい、量子スケールのサイズだ。量子の世界では物事は異なる動きをする。
そのスケールでは、仮想粒子〔注:直接観測することはできないが、反応の中間過程にかぎって生成消滅する粒子〕と呼ばれるエネルギーの小さな波紋がつねに現れては消えている。いま私たちの皮膚を構成している原子と原子のあいだでも、仮想粒子が生まれては消えている。
それはどこからともなく現れ、いつの間にか消える存在だが、この宇宙で確立した物理学に立脚するものなので、「無から有が生まれた」という宇宙の始まり方も、まったく考えられないわけではない。もしかしたら、この宇宙は仮想粒子と同じように生まれたのかもしれない。
時間が生まれる前には、いわゆる「物理法則」はなかった
また、時間が生まれる前は、人間がその中で進化し、当然のように考えている因果の秩序も存在していなかった。つまり、宇宙が何かほかのものから生まれたと考えなくてはならない物理法則も存在していなかったのである。
さらに言えば、私たち人間は本当のところ「無」とは何かを知らない。知っているのは、頭の中で考え出した「無」だけだ。
「無」というのは何かがないことを意味する便利な表現にすぎない。ビールグラスの中には「何もない」とか、財布の中にはもう一杯ビールを買うためのお金が「まったくない」といった文脈でなら、「無」の概念は問題なく有効だが、物理学的に厳密な意味では、宇宙のどこにも──どんなに深く探究しても──「絶対的な無」は存在しない。
宇宙のどこを探しても、恒星や惑星やガスのようなものがあるか、少なくともかすかな放射線が飛んでいる。財布にしても、お金はなくてもクレジットカードや古いチケットの半券があるかもしれない。それさえなくても、空気や埃はあるはずだ。
本当に何もない人工的空間は、科学者にもつくることができない。「ゼロエネルギー真空」や、放射線も飛んでいない空洞をつくることは物理的に不可能なのだ。
そもそもビッグバン以前は「無」だったのか?
では、実際のところ「無」はどこにあるのか? どうやらそれは、私たちが発明した実態のない概念のようだ。
「無」というのは、この宇宙では物理的にあり得ない状態なので、ビッグバン以前に「無」(人間が発明した概念であり、人工的に再現できない状態)が存在していたと考えるのは、大胆な仮定であり、論理の飛躍だ。と言うか、まったくの間違いだ。
「無」という概念が、この宇宙以外のどこかに存在するとか、時間さえまだ存在していなかったビッグバン以前に存在していたなどということを、期待できる理由は何もない。「無から何かが生まれた」というのは、科学的にも論理的にも正当化できない大胆な仮説に基づく言説なのである。
現在と同じルールが働いていない原始の宇宙の仕組みを理解するためには、私たちはこの宇宙で有効だと信じている基本的な考えのいくつかを捨てる必要がある。
私たち霊長類の脳は、生存と進化に必要のない概念を理解することができない。人間の脳はそのようにはできていない。トースターでメールを送れないのと同じことだ。
(本稿は、デイヴィッド・ベイカー著『早回し全歴史──宇宙誕生から今の世界まで一気にわかる』からの抜粋です)