圧倒的に面白い」「共感と刺激の連続」「仕組み化がすごい」と話題の『スタートアップ芸人 ── お笑い芸人からニートになった僕が「仲間力」で年商146億円の会社をつくった話』の著者・森武司氏は、2005年の創業以来、18年連続増収増益を達成し、年商146億円となった。ここまで会社を成長させてきた秘密は何か? 本書からより深い学びを得ようと、インタビュー企画を実施。インタビューするのは元芸人で、FIDIAの不動産事業部を任されている水上雄一氏。
今回は、セカンドキャリアについて話を聞いた。

元芸人がバイト3か月でマネジャーに昇進した納得の理由とは?Photo: Adobe Stock

「手に職」をつけるために

――前回は、芸人時代の話を聞きました。
今回は、芸人を辞めてからの「セカンドキャリア」についてお聞きしたいです。

水上雄一(以下、水上):芸人を辞めてからやることがなくなり、柔道整復師の資格を取るために3年間、整骨院の学校に通いました。
当時は31歳。学校卒業後、整骨院にアルバイトから入ってマネジャーになり、現在は大阪市内で整骨院を運営しながらFIDIAに参画しています。

――なぜ整骨院の学校を選んだのですか?

水上:芸人の同期に、「水上って『整骨院顔』だよね」と言われて(笑)。
それなら、ちょっと整骨院の学校に行ってみるかという感じでした。
元々整骨院を開業したいわけではなかったのですが、まだ芸人をやりたい気持ちはあり、手に職をつけておけば、いつでも芸人に戻れると思っていました。
まぁ芸人に未練があったんです。
整骨院の学校には、実は元芸人の友達と一緒に通っていました。
3年間、自分一人で通うのも嫌なので、ちょうど誰かを誘おうと思っていたんです。
彼とは芸人を辞めた時期が一緒で、元々人体に興味のある人でもあったので。
学校卒業後は、一緒に開業しようと話していました。

アルバイトから3か月で
マネジャーになった理由

――学校卒業後、就職先はどのように見つけたのですか?

水上:学校時代の同じクラスの人から整骨院を紹介してもらい、そこで働き始めました。結果的に、アルバイトから3か月でマネジャーになりました。

僕が入ったのは、当時1店舗のみの整骨院でした。
入った頃は、赤字経営の店舗もあり、オーナーだけが一生懸命働き、他のスタッフは“言われたことをやるだけ”の雰囲気でした。
みんな真面目で、患者を治したいという気持ちで仕事はしていたのですが、店舗の売上を伸ばすとか、店舗拡大のノウハウなどはまったくない状態でしたね。

――そういった状態で、何から仕事をしたのですか?

水上:そこのオーナーは、元々入社前から僕が芸人だったことは知っていました。
当時は施術のノウハウもなく、やることもなかったのですが、僕はオーナーに「店自体をどうしていきたいか」を聞いたんです。
そのやりとりの中で、「僕はこうしたい」「じゃ、それやりましょう」と話し合いつつ、「それならそれは僕がやりますわ」という形で、少しずつオーナーがやるべき仕事を僕が担当することなりました。

――すごく重要なのに、まったく手が回っていなかった部分ですね。

水上:はい。オーナーの方針をわかりやすく伝えたり、トップ施術者の接客を従業員に研修したりすることで、徐々に従業員が売上に対して意識するようになり、お客さんが増えていきました。
そこから一気にマネジャーに昇格。2店舗目、3店舗目の出店を任されるようになったんです。

――整骨院の集客はどうやったのですか。

水上:整骨院の経営の肝は、技術はもちろんのこと、人の流れが命だと思っていたので、出店戦略を慎重にやりました。
最初は、大阪の中でもファミリー層や富裕層が住む街に出店しました。
利益を計算していくと、「やっぱりそうなんだ」と僕の仮説がどんどん当たり、成功事例を踏まえながら戦略を立て、「次はビジネス街に出そう」となりました。
2店舗、3店舗と増やして黒字化していく中で、派手な広告を出さなくても、場所選びさえ間違えなければやっていけるという自信ができたんです。これはすごい学びでしたね。

最後に、『スタートアップ芸人』には、当社の森社長が芸人を辞めた後、ひきこもりニートとなり、その後大手量販店に勤めている時代に学んだ経営と仕事の極意が克明に書かれています。森社長がそこで何を学び、今、なぜ業績を伸ばし続けているのか、じっくり読むと大いに刺激になるかと思います。