その調査とは、世界各地の高血圧の頻度と食塩の摂取量との関係を調べたものだ。アラスカのエスキモー(原文ママ)、太平洋のマーシャル群諸島民、アメリカ人、日本の九州地方と東北地方の住民を比較したところ、もっとも多く食塩を摂取している東北地方で高血圧の出現頻度がもっとも高かった。また、食塩の摂取量が少なくなるにしたがって出現頻度が低いという結果が明らかになった。

 しかも調査結果では当時、アメリカ人の食塩摂取量が10グラムほどであるのに対し、東北の人は30グラム近くもあったのである。

 減塩しないと、早死にしてしまうかもしれない――。高度成長期を迎え、空腹を満たすために食べる時代から、健康を気にして食べる時代へと移り変わるなか、減塩に対する意識が徐々に芽生えてきたのだった。

1979年、日本の食塩適正摂取量は
1日10グラム以下に

 高度成長期は、国の保健政策が成人病予防へと舵を切った時代でもある。

 成人病という言葉は、脳卒中やがん、心臓病、それにあとから加わった糖尿病といった中年以降に発症しやすい病気の総称として昭和30年代から使われ始め、1996年(平成8)から生活習慣病へと呼び替えられた。成人病予防として格好のターゲットの一つとなったのが、数値としてわかりやすい食塩摂取量だった。

 国民栄養調査(現・国民健康・栄養調査)のデータで食塩摂取量を確認できるのは、1972年(昭和47)からである。1979年に改定された「日本人の栄養所要量」では、1日の食塩の適正摂取量が1日10グラム以下と初めて盛り込まれた。ちなみに同年の国民栄養調査の食塩摂取量は13.1グラムだった。

 同年2月に放送されたNHKの『きょうの料理』では初めて成人病の食事を特集した。監修にあたったのは当時、聖路加看護大学の学長を務め、生活習慣病という名称の提唱者の一人である日野原重明だ。その初回が「高血圧の人のために」と題する減塩テクニックの紹介だった。その反響は大きく、テキストは100万部を超えるヒットを記録した。減塩商品に注目が集まるようになったのも同じ頃だ。

 1980年(昭和55)5月15日の読売新聞朝刊には「低塩 低糖を売る商品増える」と題する記事がある。塩分や糖分を減らした商品が増えるなか、「低塩」「減塩」「塩分ひかえめ」「うす塩」「あさ塩」など表示がまちまちで、基準がないことを問題視している。