94年に小選挙区制が導入されると、派閥としてではなく党として選挙を闘うことになりました。中選挙区制から小選挙区制に変わった段階で、派閥は役割を終えたはずなのです。しかし一方で、総裁選への派閥の影響力は残ったままでした。
その後も派閥ごとに閣僚人事の割り当てを行っていて、それが党内における権力維持装置であり、パワーゲームの1つになっていました。私は02年に自民党入りした後、友人に誘われて森派に入ったのですが、派閥に所属してすぐのタイミングで大臣(環境相)に任命されました。派閥の順繰り割り当てではなく、当時の小泉純一郎総理にピンポイントで指名を頂いたからです。そうしたら、派閥の長に「そんなのは聞いていない」とたいそう怒られました。
派閥の存在が政治構造の変化を阻んできた点や、改革の際に派閥の壁に突き当たったことから、私は「むしろ派閥はない方が良いのではないか」というスタンスで活動してきました。
「派閥」はどこの会社でも、人間社会であれば常に存在する現象だと思います。ただ、それが「機能体」から変質して「共同体」になってしまうことが問題であると、私は言いたいのです。
本来、政党組織とは、国民のために機能を果たす目的のために運営されるべきです。これは「機能体・ゲゼルシャフト」です。ところが「共同体・ゲマインシャフト」になると、利害関係をともにし、「みんなで仲良くやっていこう」「次はあなたの順番だから」という内向きの組織になってしまいます。このようにして派閥が順番待ちの温床になってしまったのだと思います。