些細なことでイライラしたり、空気が読めずにトンデモ発言をしたり、武勇伝を何度も繰り返したり。そうした言動で周囲に迷惑を掛ける中高年層は、たとえ過去に仕事で成功していても、若者たちから「老害」だと認定されてしまいます。ですが、もちろん本人たちは悪気があって老害っぽい言動をしているわけではありません。では、なぜ「やらかす」のでしょうか。医学博士・平松類氏の著書『「老害の人」にならないコツ』(アスコム)から抜粋して、その答えをお届けします。今回のテーマは「世代間の感覚のズレ」について。
90代の人が自分を年寄りと思っていない現実
A「消防団の大先輩のYさん、いっつもおんなじ話をしてくるのよ。しかも、お決まりの武勇伝。いったい何回聞けばいいんだよって話。根は悪くない人なんだけどなぁ」
B「わかるわかる。いるよね、その手の人。マジで老害」
A「飲み会とかで、隣になったときがつらい(苦笑)」
B「うわー、想像できる。そういう年寄りにはなりたくないわ」
20~30代を想定した、巷(ちまた)の若者の架空の会話を書いてみました。みなさんがどこまで把握されているかはわかりませんが、男女を問わず、若者たちはこのような話を頻繁にしています。
ショックでしょうか。「お前たちは何もわかっていない!」と思われるでしょうか。いずれにせよ、下の世代がそのように感じ、同世代間で同じ認識を共有していることは事実です。実際に、同じ話を何度もくり返す高齢者はたくさんいます。
なぜ、このようなことが起こるのか。どうして、世代の違いが認識の違いを生むのか。最初に、その理由を説明していきましょう。
大前提になるのは、年をとったと自覚していない高齢者が、非常に多いということです。「年をとったらこうなる」という具体的なイメージを持っている人は、ほとんどいないといってもいいでしょう。
自覚があるのは老眼になったことくらいでしょうか。あとは、足腰が少し弱くなってきたこととか……。本当にその程度です。
だから、いつまでも若いつもりでいますし、老けたとも実感していません。当然、自分のことを老害とは思っていないですし、さらにいえば、高齢者という認識すらありません。これはみなさんの老害力を下支えしている、典型的な要素のひとつです。
私の患者さんに、こんな人がいました。
90代の男性で、日常生活において自転車に乗ることを懸念されていました。視力に問題はないものの、ちょっと乗るのが億劫になってきたと。
私は補助輪のようなものが付いている高齢者用の自転車の存在を紹介し、それに乗ることを提案しました。すると、激昂(げっこう)してこう言うのです。