「そんなものは、年寄りが乗るもんだ!」

 くり返しますが、この声の主は90代です。これが典型例であり、ある種の現実なのです。

老化は誰にも起こる変化=つまり悪ではない!

 人間は等しく年をとります。

 年をとれば、体中のあらゆる部分が変化していきます。耳が聞こえにくくなったり、目が見えづらくなったり。

「自転車に乗るのが不安」で病院に来た90代男性が豹変!医師に突然キレた驚愕の理由出典:医学博士・平松類氏の著書『「老害の人」にならないコツ』(アスコム)

 これは自然のことで、誰にでも起こることです。だから気に病むことはありませんし、無理に抗(あらが)う必要もありません。

 もっとポジティブにとらえましょう。だから私は「衰え」ではなく、ここではあえて「変化」と表現しました。

 もうひとつ、ポイントとして挙げておきたいのは、体力、記憶力、五感などは「おしなべて落ちる」とイメージしている高齢者が多いということです。

 すぐに疲れたり、物忘れが多くなったり、耳が聞こえにくくなったりということは、どれもが並行して進んでいくと思っています。

 しかし実際には個人差があって、進行度合いはばらばらなんですよね。落ちる部分とそれほど落ちない部分が混在しています。

 いうなれば、でこぼこの状態です。

 すると老害と思われがちな人は、あまり落ちていない部分(例えば、聴力)を基準にして、「いやいや、自分はまだまだ耳が聞こえるから大丈夫」となります。

 明らかに歩くのが遅くなっていても、視力が低下していても、そこに意識を向けようとはしません。

 というより、聴力が落ちていないことに引っ張られるかたちで、それ以外の部分が落ちていることに気づけていないのです。

 一方、若者は落ちている部分を基準に判断します。

 だから、高齢者が「自分はまだまだ若い」と思っている姿勢に眉をひそめ、「どれもこれも、全然ダメじゃん」となるのです。

 この感覚のズレが、「老害」という概念を生む温床になります。