「そんなものは、年寄りが乗るもんだ!」
くり返しますが、この声の主は90代です。これが典型例であり、ある種の現実なのです。
老化は誰にも起こる変化=つまり悪ではない!
人間は等しく年をとります。
年をとれば、体中のあらゆる部分が変化していきます。耳が聞こえにくくなったり、目が見えづらくなったり。
これは自然のことで、誰にでも起こることです。だから気に病むことはありませんし、無理に抗(あらが)う必要もありません。
もっとポジティブにとらえましょう。だから私は「衰え」ではなく、ここではあえて「変化」と表現しました。
もうひとつ、ポイントとして挙げておきたいのは、体力、記憶力、五感などは「おしなべて落ちる」とイメージしている高齢者が多いということです。
すぐに疲れたり、物忘れが多くなったり、耳が聞こえにくくなったりということは、どれもが並行して進んでいくと思っています。
しかし実際には個人差があって、進行度合いはばらばらなんですよね。落ちる部分とそれほど落ちない部分が混在しています。
いうなれば、でこぼこの状態です。
すると老害と思われがちな人は、あまり落ちていない部分(例えば、聴力)を基準にして、「いやいや、自分はまだまだ耳が聞こえるから大丈夫」となります。
明らかに歩くのが遅くなっていても、視力が低下していても、そこに意識を向けようとはしません。
というより、聴力が落ちていないことに引っ張られるかたちで、それ以外の部分が落ちていることに気づけていないのです。
一方、若者は落ちている部分を基準に判断します。
だから、高齢者が「自分はまだまだ若い」と思っている姿勢に眉をひそめ、「どれもこれも、全然ダメじゃん」となるのです。
この感覚のズレが、「老害」という概念を生む温床になります。