校長の追放運動で
退学となった三木武夫

元プロ野球選手でタレントの板東英二元プロ野球選手でタレントの板東英二 Photo:SANKEI

 江戸時代に徳島藩25万7000石の城下町として栄えた徳島。徳島商業高校は明治時代に設立された徳島県立の学校だ。各種スポーツや音楽が盛んだが、総理大臣も送り出すなど、個性あふれた老舗だ。略称は「徳商」。

 昭和時代にクリーンを売り物にした政治家がいた。1974年12月から76年12月にかけ第66代首相を務めた三木武夫だ。

 三木は、現徳島県阿波市の肥料商の生まれで、1920年に徳島県立商業学校(現徳島商業高校)に入学した。当時の徳商は、県立徳島中学校(現城南高校)と並ぶ難関中学だった。

 三木は1年留年しており、当時最高学年の5年生だったが、バザーの会計に不正があるとして校長の追放運動を起こし、そのリーダー格になった。不正は明らかにならなかったが、三木は一連の騒動の首謀者とされ、退学処分を食らった。

 1925年に叔父を頼って関西に向かい、私立中外商業学校(現兵庫県立尼崎北高校)に編入した。26年には旧制明治大学専門部商科に入り、続いて明治大学法学部に入学し、雄弁部で活躍した。

 三木は1937年に衆院議員になり、以降、1988年に死去するまで当選回数19回・在職51年を数えた。自民党議員として政治改革に邁進、「クリーン三木」「議会の子」などと言われた。

 三木は徳商中退だが、旧制商業学校出身で首相の座に就いた人物がもう一人いる。1989年に、わずか69日間の在任だったが第75代首相の座に就いた、宇野宗佑がそうだ。宇野は滋賀県立八幡商業学校(現八幡商業高校)卒で、彦根高等商業(現滋賀大学経済学部)卒―旧制神戸商業大学(現神戸大学)中退だ。