民主主義を守るために

 以上の議論にはより深刻な問題点があります。それは、財政が破たんしないことを強調しすぎるあまり、この本で重視してきた「民主主義」という大切な論点がスッポリ抜け落ちてしまうことです。

 財政法では「その年度の支出はその年度の収入でまかなう」ことが原則とされています。いまの自分が欲しいものを、未来の人たちの収入をあてにして買うことを繰りかえせば、未来の人たちの「意思決定」をさまたげてしまうからです。

 私たちが好きなだけ借金をして、その結果、深刻なインフレに苦しむことになったときを考えてください。それが来年の人であれ、5年後、10年後の人であれ、若い人たちの一部は、自分たちが決めたわけじゃないムダ使いのツケを増税ではらわされます。

 しかも赤字国債は60年かけて返済します。高齢者が先に亡くなることを考えれば、結局、長期にわたって負担させられるのは若い世代の人たちなのです。

 財政民主主義という言葉を聞いたことがありますか?

 なぜこんな言葉があるのか、ぜひ考えてください。それは、議会で、みんなが必要だと思うものを考え、そのために必要なお金をどこから、どのように集めるのかを話しあうからです。実際、日本の国会でも、一番注目される委員会は予算委員会ですし、一年の大部分は予算のことを話しあっています。

 ここはとても大事な点です。税が前提だから、私たちは、必要なものとムダなものを話しあいます。ムダが多ければ多いほど、税の負担は増えていくからです。子どもたちに、自分たちが決めてもいない負担を押しつけるのは公正ではありません。だからこそ、議会できちんと議論しないといけないのです。

 もし、税を前提にしないのなら、こんな話しあいは、一切いらなくなります。好きなものを好きなだけ、しかも税金をはらわずに、手に入れることができるのですから。その意味で、MMTを利用した政治主張は、政治の、民主主義の自殺行為なのです。

 歴史を見てください。人類が革命をつうじて、命がけで手にしようとしたものはなんだったでしょうか。税金をなくそうとしたのではありません。税の使いみちを自分たちが自由に決める権利を手にしたくて闘ったのです。

 イギリスの権利章典であれ、アメリカの独立宣言であれ、フランスの人権宣言であれ、みな同じです。税があることへの怒りではなく、税の使いみちを勝手に決める支配者への怒りがハッキリと書きこまれています。

 民主主義とは、痛みを分かちあってでも、この社会を生きる仲間たちの幸福を考える地道で大切なプロセスです。伸(の)るか反(そ)るかのギャンブルでこのプロセスを破壊することは、人類の歴史への冒とくだと僕は思います。