政府が信じられないから増税に反対という主張を聞くと、僕はとてもはがゆい気持ちになるんです。そんな主張はもうやめてほしい、とさえ思います。

 フランスもまた、日本とならんで国民が政府を信頼しないことで知られる国です。ところが先進国のなかでもっとも税金が高い国のひとつでもあります。フランスの人たちは政府を信じていなくても、福祉や教育にたくさんのお金をかける連帯の国を作りました。

 では、なぜ私たちにそれができないのでしょう。

 そんなに政府のことが信じられないのなら、彼らをきちんと監視し、同時に、彼らが私たちの期待どおりに行動してくれるための方法を全力で考えるべきです。そこから逃げておきながら、政府はウソつきだと言って増税に反対し、借金を正当化する極論に突きすすむ発想、これも右派のベーシックインカムと同じく敗北主義だと言わざるをえません。

 社会は自分だけのものではありません。《私たちの社会》だからこそ、よりよい社会をめざして、ていねいに、ねばり強く議論していくべきです。それは、子どもや若者よりも先に生まれた人間の責任です。無関心、気づかないふり、そして反対のための反対は、不幸を増殖させる培養液なのです。

問われる人間観と社会観

 MMTやベーシックインカムの議論を聞いて感じるのは、理論的な正確さ以上に、いかなる人間観をもち、いかなる社会観をもっているのかがわからないことへの違和感です。

 お金があれば嬉しいのはだれだってそうでしょう。でも、お金さえ与えれば人間を幸せにできる、と考えるとすれば、それはまちがいです。僕は、お金をあげて人間を幸せにする世界ではなく、生きていく、暮らしていくための心配をなくすことで、働き、幸せをつかみとろうともがく人間が、その力を最大限発揮できる世界を作るべきだと思います。

 AI化がすすむと人間の雇用がうばわれる、だからベーシックインカムを導入しよう、という議論を紹介しました。こうした議論のはじまりは、アメリカで今後10年から20年のあいだに労働人口の47%が機械に置きかわる、とセンセーショナルに論じたフレイ&オズボーン論文でした。

 でも、この議論は、もはや過去のものです。経済学者の岩本晃一さんは、機械では取ってかわることのできない高度な仕事を人間がうけおうので、全体の雇用量は変わらない、ないしは、増えさえすると見るのが国際的な常識だと説明しています。オズボーンさん自身、あたらしく生まれる雇用の可能性を考えていなかったことを認めたとも言います。

 人工知能学会の山田誠二元会長の批判も痛烈です。山田さんは、AIが雇用をうばうという議論を「噴飯もの」だといきどおり、何十億年もかけて私たちが手にした合理性を数十年で機械が乗りこえるという議論への不快感をあらわしました。AI化がすすむと人間の雇用がうばわれるという議論は、人類への敬意を失った議論だということです。