8カ月後の10月29日のこと。ベッドに横になっていると、ものすごく胸が苦しいんです。大助くんに頼んで車椅子に乗せてもらいました。不思議なことにストーブの前に座っていると、胸が少しスーッとして「あれ?大丈夫かな」と。理屈はわかりませんが、空気が温もってスチーム状になり、吸い込みやすくなるんでしょうか。

心肺停止寸前
「花子、がんばれ!」

 でも、またベッドに横になると苦しい。耐えられないくらい苦しい。まったく息ができず、海の底で溺れ死にしそうな感じです。私が呼吸困難に陥っている様子を見て、大助くんが「これは、あかん」と慌てて救急車を呼んでくれました。救急車に乗るなんて初めてのことです。救急隊員の方々が家に来たところまではわかっていましたが、それからの記憶はまったくありません。

 のちに聞いた話だと、一緒に乗り込んだ大助くんは、私の手をギューッと握り、「花子、がんばれ!花子、がんばれ!」と大声で励まし続けていたそうです。その声が救急車のスピーカーから外にガンガン響いていたというんですから、えらいことです。折しも、統一地方選挙に向けた選挙活動の真っ最中。私が立候補していると勘違いした人もいたんでしょう。開票してみたら「宮川花子」に3票入っていたそうです(笑)。

 というのは、のちに作った漫才のネタですが、大助くんが叫んだのはほんまの話。嫁が抗がん剤の副作用で肺に水がたまり、死にかけていたんですから、動転するのも無理はありません。奈良県立医科大学附属病院に担ぎ込まれたときは、心肺停止寸前・意識不明という、これ以上ないほど深刻な状態でした。

 目を覚ましたのは3日後。気がつくと、集中治療室(ICU)のベッドの上でした。当時は、コロナウイルス感染予防のために家族との面会は一切禁止です。

 それがわかっているのに大助くんは毎日、病院にやってきては、居ても立ってもいられない様子でウロウロしていたそうなんです。見かねた先生が「花子さんに伝言があれば伺いますよ」と声をかけてくださったみたい。大助くん、うれしかったんでしょうね。メッセージを預けて、ようやく安心して帰っていったそうです。