「は?」がん闘病の宮川花子が心肺停止から回復→大助の伝言を聞き、笑ったワケ 「は?」がん闘病の宮川花子が心肺停止から回復→大助の伝言を聞き、笑ったワケ

多発性骨髄腫は治る病気じゃなかった。症状に応じて適切に治療しながら、一生つきあっていかなければならない病気だった。心肺停止寸前の状況から生還した宮川花子に、医師は神妙な顔で大助からの「伝言」を告げるのだった。本稿は、宮川大助・花子『なにわ介護男子』(主婦の友社)の一部を抜粋・編集したものです。

緊急事態宣言の初日に
退院するも病状はまた悪化

 2020年4月7日、新型コロナウイルスの感染拡大により東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県に緊急事態宣言が出されました。私(編集部注/宮川花子)が退院した4月16日は、その対象区域が全国に拡大された日。日本中の人々が得体の知れない感染症におびえながら生活する重苦しい日々が始まったのです。しかし、この段階ではまだ誰も、あんなに長い期間になるとは想像していなかったのではないでしょうか。私も、なにはともあれ、自分が退院できたことにほっとして、リハビリに精を出す日々を過ごしていました。

 ところが早くも1カ月後、がんを示す数値(フリーライトチェーン)が悪化してしまいます。

 がっかりしなかったと言えばうそになりますが、気持ちを切り替えて週1回の抗がん剤治療を再開しました。それでなくても多発性骨髄腫は免疫力が低下する病気です。そんながんとの闘いに加えて、コロナウイルスから身を守る闘いにも気が抜けず、大助くんともども細心の注意を払ってステイホームの日々を過ごすことに。NHK・Eテレ「すてきにハンドメイド」や山陰放送「宮川大助・花子のハテはてな?」などもすべてリモートで出演しました。

 翌年2021年も年明け早々の1月8日、2回目の緊急事態宣言が発令され、世の中は依然、コロナ一色です。毎年恒例のNHK「新春生放送!」への出演や成田山大阪別院の節分豆まき式への参加もなく、結果的にこの年は、前著『あわてず、あせらず、あきらめず』の準備に力を注ぐことになりました。

 とはいえ、芸人の仕事を忘れたわけではありません。12月19日、地元・奈良県生駒市で2年半ぶりの舞台に出演。じつはこのとき、ちょっとしたサプライズを仕掛けたんです。舞台袖で「あっ、できそう!」とひらめいたのがきっかけでした。

 緞帳が上がると「車椅子に乗っているのは花子ではなく大助」という仕掛けです。しかも、それを花子が押しながらステージ中央に進んでいくのですから、お客さまはきっと驚くはずだと思いました。