その先生がICUに来て、「大助さんから、ご伝言を預かりました」と神妙な顔でおっしゃるから、何かあったのかとドキドキしながら「はい、お願いします」と言うと、「オリックスが優勝したよ」。

 は?

 確かに救急搬送されるまで2人で日本シリーズのヤクルト対オリックス戦を見てました。見てましたけど、心肺停止の状態で救急搬送され、生きるか死ぬかをさまよって、ようやく意識が戻ったばかりの嫁にそんなこと言います?それも毎日病院に通ってきて、なんとか会えないかとウロウロして。

 後日、「なんであんなこと言ったん?」と聞いたら、まじめな顔で「気になっているやろうから、ちゃんと教えておいたほうがええと思って」ですって。おかしいでしょう。どれだけ深刻なときでも、あの人といると笑ってしまうんです。

多発性骨髄腫は治らない
一生つきあっていく病気

 心肺停止寸前という大変な経験をしたおかげで、がんという病気への考えが改まりました。多発性骨髄腫に限ったことではないと思いますが、がんになると誰もが完治をめざします。私もそうでした。元の健康な体に戻りたいと思うのは当たり前のことですもんね。

 でも、そんな単純な話じゃないんです。腫瘍をやっつけようと抗がん剤を急げば、今回のように心不全になることがある。介護してくれる人に遠慮しておしめ交換をお願いしなかったら、感染症から敗血症になって、あっという間に死んでしまうことだってある。まったく予想しなかった副作用に苦しんだり、ほんのちょっとしたことから症状が悪化して重篤な状態になったりするんです。がんそのものより、その周辺症状に苦しむことが多いと言っても決して大げさじゃありません。

「は?」がん闘病の宮川花子が心肺停止から回復→大助の伝言を聞き、笑ったワケ『なにわ介護男子』(主婦の友社) 宮川大助・花子 (著)

 それが、がんとつきあう最大の難しさだと思います。2019年に記者会見で病名を公表したときには、私もそんなことは知りませんでした。完治に向けてまっすぐにがんばればいいと考えていたんです。

 ところが多発性骨髄腫は、治る病気じゃなかった。症状に応じて適切に治療しながら、一生つきあっていかなければならない病気でした。最初からそのことをもっと意識しておけば、防げたことがたくさんあったと思います。