1990年代は通信系のドイツテレコム、IT企業のCSC、ティスカリなどが登場。さらに欧州各国の公営宝くじ会社のロット、フランセーズデジュ(現FDJ)なども参戦。フランスのたいていの町にあり、カフェを飲みながら馬券を購入するPMUも大会第2スポンサーになった。

 根強いのはフランスの全国スーパーマーケットチェーンで、シャンピオン、カルフール、ルクレールなどが山岳賞ジャージのスポンサーを歴任。チームとしてもリドルが米国チームのリドル・トレックのメインスポンサーになった。

 現在のチームスポンサーのトレンドはオイルマネーを持つ中東の国家で、ポガチャルのUAEチームエミレーツをはじめ、新城幸也のバーレーン、イスラエルが巨額をそれぞれのチームに出資している。

 ところで自転車レースでは、プロチームはスポンサーネームを最大3個までチーム名称に羅列していいという決まりがある。その一方で、単独スポンサーのワンネームというのもステータスがあり、いかにも大金を駆使してチーム運営をしていますという様をアピールしていて、頼もしい。

 こういったチーム名称やチームウエアは一定のルール縛りがあって、自由に変更できないことが規定されている。ただしツール・ド・フランス開幕直前に修正してもいい時期があって、それを参戦チームが見逃すはずがない。新しいチーム名やジャージでいきなりツール・ド・フランスに登場したら世界中に話題性を振りまくことができるからだ。

 今回は優勝候補プリモシュ・ログリッチの所属していたボーラ・ハンスグローエにメインスポンサーとしてエナジードリンクのレッドブルがついた。だから開幕時にいきなりチーム名称がレッドブル・ボーラ・ハンスグローエに。レッドブルはこれまでワウト・ファンアールトやトム・ピドコックのパーソナルスポンサーで、ヘルメットだけレッドブルのロゴが入ったものを着用させていたが、いきなり新生チーム全員のジャージとヘルメットにレッドブルロゴが入った。

 チームウエアもツール・ド・フランス開幕に合わせて、ビスマ・リースアバイクが黄色を基調としたものから迷彩色柄になった。ジャージが黄色だとマイヨジョーヌを獲得しても見た目が変わらないので、黄色を主体としたチームがウエアのトーンを変えるのはこれまでもよくあることだ。またステージ3勝と活躍しているアルペシン・ドゥクーニンクもジーンズをイメージするウエアに変更して人目を引いた。