しかし、大学生をはじめとする若者の勢いは財産であり、そこから生まれて評価を受けるものもあるし、その勢いの中での失敗こそが糧という財産であったりするから、「若者・挑戦者のやらかし」は必ずしも悪いというわけではない。

 とすると、パリ開会式のやらかしは、芸術の国として世界を牽引してきたフランスだからこそのものといえる。クリエイティブへの挑戦がなければあり得なかった炎上である。

 ここまでくると、その攻めの姿勢をどう捉えるかは、はっきりいってもう完全に個人の主観の領域である。公式然とした自国の歴史紹介スペクタクル芸術プログラムを退屈だと感じていた人にとっては、パリ開会式の尖り感は新しい風を吹かせようとする試みとして評価されるであろう。失敗のリスクを負いながら挑戦する姿勢こそが真のクリエイターとも言え、これも評価に値する。

超えてはいけないボーダーラインか
見習うべきチャレンジか

 筆者個人は、パリ開会式を評価できない。「平和とスポーツの祭典」五輪開会式というこの上ない公共性のある場にあの演出は適切でなかったと、少なくとも制作者は(挑戦するクリエイターであったとしても)大学生でなくプロなのだから事前に気づいてほしいと思ったが、そう強く感じるのも私自身がやらかしの経験者で、パリ開会式を通して自分の若い過ちを見せつけられているような気分になるからかもしれない。

 おそらくひとつ言えることは、今後の五輪開会式制作に際しては、この2024パリ開会式が必ずや参考にされるであろうということである。それは「超えてはいけないボーダーライン」としてなのかもしれないし、「見習うべきクリエイティブへの姿勢」なのかもしれない。

 パリパラリンピックの開会式は8月26日に予定されている。公式サイトには「史上空前」と銘打たれていて、開会式のプレビュー動画を見たところ、色とりどりのライトアップが溢れるかなり派手なものとなりそうな印象である。不穏な要素は見当たらなかったが、果たしてどうなるのか。五輪の競技を応援し、楽しみながらその日を待ちたい。