暗号資産取引所FTXを創業し、20代で資産100億ドル(約1兆4500億円:1ドル=145円で計算)を超える大富豪になったものの、FTXの破綻によって一転、顧客資産を盗んだとして逮捕され、懲役25年の刑に処せられたサム・バンクマン=フリードは、「効果的利他主義」を信奉していたことで知られている。

【参考記事】
●TXの破綻によって約1兆円の顧客資産を消滅させたサム・バンクマン=フリードが魅了された「効果的利他主義」と目指した理想の社会とは

 効果的利他主義(EA: Effective Altruism)は、簡単にいうと、次のような倫理的態度をいう。

 1万円で買ったばかりのスニーカーを履いて散歩しているときに、小さな子どもが浅い池で溺れているのに出くわした。そのとき、あなたはスニーカーが台無しになることなど気にせず、池に飛び込んで子どもを助けるはずだ。だったらなぜ、アフリカの貧しい子どもたちを救うために、1万円を寄付することに躊躇するのか――。

 この主張に同意するなら、寄付するのは1万円より10万円、10万円より100万円のほうが「効果的」であることにも同意するはずだ。

 ここから効果的利他主義者は、ウォール街やシリコンバレーで高い収入を得る能力に恵まれた者は、ボランティア活動などで無駄な時間を費やすのではなく、ランダム化比較試験によって検証された、もっとも効果的な(費用対効果の高い)慈善団体に寄付することで、生涯の労働時間当たりに換算してもっとも多くの生命を救うことができると論じた。

 だがいまでは効果的利他主義は、これから生まれてくる者も含めてさらに多くの生命を救うべきだという「長期主義(longtermism)」へと「進化」している。

 今回は、効果的利他主義の“伝道師”であるウィリアム・マッカスキルの『見えない未来を変える「いま」 〈長期主義〉倫理学のフレームワーク』(千葉敏生訳/みすず書房)から、この新しい(そして風変わりな)倫理学がなにを目指しているのかを見てみよう。原題は、What We Owe The Future(わたしたちが未来に負っているもの)。

「功利主義者は、未来の世代の利益を現代の主要な道徳的優先事項のひとつとすべき」

 マッカスキルは本書の冒頭(ペーパーバック版まえがき)で、「未来世代は重要である、という単純な前提から始めて、どのような結論が導かれるかを探っていこうと思う」と書く。その結論は、きわめてシンプルでわかりやすい。それを要約すると、次のようになるだろう。

「未来に生まれるであろう人類の数(生命の価値)は、いまの世代に比べてとてつもなく多い。だとすれば功利主義者は、未来の世代の利益を現代の主要な道徳的優先事項のひとつとすべきだ」

 これはほとんどのひとにとって容易に受け入れがたい考え方だろうが、それを読者に納得してもらうために、マッカスキルは次のような奇妙な思考実験を提示する。

 これまで生れてきたすべてのヒト(ホモ・サピエンス)の人生を、生まれた順に生きると考えてみよう。最初のホモ・サピエンスが誰かはわからないが、およそ30万年前のアフリカで生まれたとされている。この「最初のヒト」が人生をまっとうしたあと、時間を巻き戻して、その直後に生まれた2人目のヒトにあなたは生まれ変わる。2人目が死んだら、3人目、次に4人目……と続ける。

 30万年前から現在まで、およそ1000億人のヒトが地球上に存在した(している)と推計されている。そのすべての人生を合計すると、平均寿命40年として、合計4兆年になる。

 この世に生まれたすべてのヒト(もちろんあなたも含まれる)の人生を体験した“超人間”は、その1割を狩猟採集民、6割を農耕民として過ごす。「人生のまるまる2割を子育て、さらに2割を農作業に費やし、およそ2パーセントを宗教的な行事に費やす。人生の1パーセント以上を、マラリアや天然痘に罹患して過ごし、15億年を性交渉に、2億5000万年を出産に費やす。そして、44兆杯のコーヒーを飲む」。さらに、「人生の1割を奴隷所有者として過ごし、同程度の時間を奴隷として過ごす」ことになるはずだ(さらに“超人間”は、150年を宇宙で過ごし、1週間を月面歩行に費やしている)。

効果的利他主義から「進化」した風変わりな倫理学「長期主義」とは何なのか?イラスト/freehand / PIXTA(ピクスタ)

 とはいえ、寿命4兆年のこの“超人間”は、過去を均等に体験するわけではない。劇的な人口増加によって、その人生の3分の1は西暦1200年以降、4分の1は1750年以降で占められ、体験の15%がいま生きている80億人のものになる。

 次にマッカスキルは、未来のすべての人生を想像してみるよう促す。

 典型的な哺乳類の誕生から絶滅までの期間は約100万年で、生まれてからまだ30万年しかたっていないヒトは新しい種だ。さらにこの800年ほどで人口が指数関数的に増加したことで、仮に世界人口が現在の1割まで減ったとしても、“超人間”の人生の99.5%はまだ先にある。

 これまでわたしたちが体験したすべての過去と現在を足し合わせても、「人生」の0.5%にしかならない。未来はとてつもなく巨大なのだ。