2012年の格安ツアーバス事故。突然の暗転、経営危機

 2012年4月29日、ゴールデンウィークの早朝。前夜に金沢を発ち東京に向かっていた格安ツアーバスが、関越自動車道藤岡ジャンクション付近で運転手の居眠りのため防護壁に衝突。死者7人、重軽傷者39人を出す大事故となった。これをきっかけに、貸切バスドライバーは昼間は一運行500kmまで、夜間は400kmまでというハンドル距離の制限が設けられた。東京から金谷まで新東名高速道路を使うと210km程度。日帰りバスツアーはドライバー1人で回さなければならないコスト構造であり、これで大井川鐵道の乗車を含む静岡周遊のツアーが不可能になった。

「関越道事故の日から、『まずいことになる』という予感はありました。それがじわじわ現実のものになっていったのです」(鈴木社長)

 ツアーバスは、ぱたりと来なくなった。大井川鐵道の鉄道部門の営業損益は、ツアー客のピークといえる2010年度決算では1159万円の黒字であったのが、2013年度には8543万円の赤字に転落してしまう。返済途上の39億円の長期負債を返済するあてがなくなり、突如、深刻な経営危機に直面したのである。

崖っぷちに追い詰められる大井川鐵道

 さらに危機は拡大していく。大井川鐵道は木材輸送終了後の苦境が見えてきた1969年、資本参加を求めて名古屋鉄道の傘下に入っていた。以来、社長以下2名は名鉄から派遣されてきた。2014年2月3日、当時の伊藤秀生社長は島田市役所を訪れ、沿線の島田市・川根本町の首長に存続への協力と、支援策を検討する協議会の設置を求める。合わせて記者会見を行って、3月のダイヤ改正で大井川本線の1日14往復の列車を、8往復と区間運転1往復に削減することを発表した。本数削減で乗務員の「行路」を減らし、人件費の節約を狙ったものだった。

 島田市は態度を硬化させた。「事前の相談もなく、突然言ってきた」。当時の筆者の取材に、市関係者は怒りを隠さなかった。川根本町とは列車削減により、小学生の通学が難しくなることが問題になったが、結局町はスクールバスを購入し、大井川鐵道との亀裂は決定的になった。2013年に年間18万5000人いた通学定期客は、14年には9万8000人、翌年には7万6000人と激減した。SL列車が主体の観光要素の強い鉄道とはいえ、午前中1時間に1本ある時間帯の金谷行き列車には、高齢者が通院や買い物に出かける姿もよく見られた。

「(このとき)大井川鐵道は、地域の公共交通機関としての役割を、ほぼ終えてしまったのです」

 鈴木社長のこの言葉は、鉄道会社をあずかるトップとしての、苦渋の言葉であっただろう。