そして1953年、福岡の中洲に本格フランス料理レストラン「ロイヤル中洲本店」を開業すると、外食業態でのさまざまな挑戦が始まる。「ロイヤルは食品企業である」との基本理念を掲げ、日本の飲食業を一大産業にするという目標にまい進した。その象徴が、福岡市内に建設したセントラルキッチン(集中調理工場)だ。一括調理した料理を冷凍して各店舗に配送、コックが店の厨房で解凍・仕上げ調理することで品質を画一化する手法を導入した。店舗展開にもフランチャイズ制を活用し、ファミリーレストランチェーンという業態を確立させ、日本の外食産業の発展をリードしたのである。
一方、創業以来1日10食もの試食を続けてきたせいで内臓のあちこちを患い、都合7回の手術を経験。主治医からは「55歳まで生きられない」と告げられていたという。そのため江頭自身、55歳で社長を辞任するつもりでいたが、ちょうど55歳の78年に株式上場したため、創業者として経営を続けざるを得なくなった。そこで日本興業銀行(現みずほ銀行)から迎えた北条忠男専務を次期社長候補に据え、88年に65歳になったのを機に、北条に社長を譲って自身は会長となり、3年後には代表権も返上する。
しかし、その後、業績が悪化。江頭は92年に経営再構築推進本部を設置して、自ら本部長に就任し、93年に社長に復帰して経営再建の陣頭指揮を執ることになった。今回のインタビューはちょうどその頃、96年1月27日号に掲載されたものだ。そしてこの後、2年で見事に業績を立て直した後、94年から再び会長に就任する。97年に会長も退いて代表権のない創業者取締役に、さらに2003年に相談役となり、05年に82歳で亡くなった。
記事の後半では、91年から展開を始めたカリフォルニアスタイルのサラダバー&グリルレストラン「シズラー」に関する話で盛り上がっている。本家のシズラーは、「手作りと出来たてのおいしさでお客様をおもてなししたい」という思いからマニュアルがないという。お客と従業員との会話を重視した、こうしたフレンドリーな店舗運営スタイルに江頭は新しい可能性を感じていたようだ。現在、シズラーは国内に10店舗を構える。(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)
「4年後にはゼロになる」と
社員に現状をそのまま伝えた
――新年の政策上のテーマは何ですか?
景気が回復してもしなくても、全店売り上げ5%アップをテーマとし稲田直太社長に要請しています。
毎月業績検討会をしているんですが、1992年ごろから瞬く間に売り上げが10%下がり、1年以内に下がり切りました。この10%が元に戻れば、うちの利益は100億円ぐらいになるんですがね(笑)。
――危機回避という点で、ロイヤルはどんなことをやったのですか。
現状認識とリストラです。確か91年ごろに、計数管理の担当者にコンピューターで利益の数字をはじき出してもらったら、4年後にはゼロになるという結果が出たんです。この現状を社員にそのまま伝えたんです。このまま行ったら利益はゼロになるとね。
――衝撃的ですね。
それともう一点、課長以上を対象にロイヤルの安全度を調査してみたんです。僕は当時40点程度と見ていたんですが、みんな70点とか80点とか結構良い点数を付けているんですよ。そのくせ、どこが悪いと書かせると「ロイヤルのそこが悪い、あそこが悪い」ということが幾つも出てくるんですね。それも自分のことは一切棚に上げて。
つまり、一部上場、売り上げ905億円、店舗数多数ということに、皆が頼り、安心し切って怠けている。ですから、ロイヤルの現状をディスクロージャーしたんです。
――点数的にはどれぐらいまで回復しましたか。