「過去の戦争について学べる施設などに行って、生きていることを、そして自分が卓球をこうやって当たり前にできているということは、当たり前じゃないというのを感じたい」

 という話をすると、「言葉狩りだ!」とか「早田選手のような影響力のある人が特攻平和会館について言及をすることに大きな意味があるんじゃないか」とかなんとか怒る方たちもたくさんいるだろう。

 しかし、それは早田選手に余計なものを背負わせ過ぎだ。

 彼女は別に自分の思想を世界に伝えるインフルエンサーでもなければ、日本の正しい歴史認識を広めるジャーナリストでもない。卓球というスポーツを通じて、自己実現を目指している一個人のアスリートである。

 アスリートにとって最も大切なのは、競技やトレーニングに集中する環境を整えて、自分が納得できる結果を出すことだ。そういう「大義」の前では、「特攻資料館」を「戦争について学べる施設」と言い換えることなど小さなことではないだろうか。

 ・・・という話をすると、「屁理屈をこねるな!早田選手が特攻平和記念館に行きたいと言っているんだから、その思いを伝えるのは当然だ。悪いのはそれを勝手に曲解する中国や韓国の連中だろ!」という、これまた痛烈なお叱りが飛んできそうだ。

 おっしゃる通りで、筆者も両国の「事情もよく知らないのに叩く人」が悪いと思っている。マスコミから質問されたことに素直に答えているだけで叩かれる早田選手も気の毒でしょうがない。が、ちょっと想像力を働かせて「ステークホルダー」、つまりは中国や韓国の卓球ファンたちが、ああいう発言をしたらどう思うのか、というところまで考えをめぐらせると、「配慮」が足りなかった部分もあった気がする。

少し考えてみてほしい
…そりゃ、怒るわなあ

 これは「逆の立場」に置き換えてみればわかりやすいだろう。

 例えば、今回のパリ五輪で日本中が熱狂した競技で、日本人選手と最後まで激しい金メダル争いをした中国人選手がいたとしよう。

 どちらが勝ってもおかしくない接戦を制したのは日本人。しかし、中国人選手はそれを自分のことのように喜んだ。両者は互いの健闘を讃えるだけではなく、怪我や体調なども心配し合う映像などが世界に流れた。