「ケア」が注目される理由
技術的問題と適応課題

――慢性疾患の組織の問題について、本書では「多義性、複雑性、自発性」の3点から分析しています。勝ち負けではない解を見つけるというのは、多義性を認めるということですか。

 そういう側面もあると思います。多義性を認めることは、状況を多様に定義できるということです。こちらからはこう見えるが、別の人からは違って見えることを受け入れることです。違いを認めた上で、どうしたら接点を構築できるか、その道を探るというのが、対話の有り様なのです。多義性を認知できることが、対話の入口です。 

 精神障害ケアの領域で、「困った人は、困っている人」という言葉があります。

――どういうことですか。

 例えば、アルコール依存症の方の中には、お酒を飲んで暴れてしまう方がいますね。ソーシャルワーカーなどの支援職の人たちにとっては「困った人」です。しかし、当人は「困っている人」なのです。 

 どういうことかというと、仕事がどうにもうまくいかない強いストレスを抱えていたり、DVを受けていたり、酒を飲んで酔わないとやってられないという非常に困っている状態と考えられるのです。そのどうしようもない苦しみの中にあって、お酒を飲むということで、なんとか自分を維持している。ある意味で、その人にとっては自分の苦しみを一人で何とか乗り切ろうとする必死の行動なのです。

 でも、ご本人も何に困っているかよくわからないことも多く、それ故に困っている要因もはっきりしないので苦しみが続いてしまいます。周りの方も含め、そこで生じる苦しみはいかばかりかと思います。

 この場合、周囲にとって困った人だからと言って、「酔っ払うと暴れて皆に迷惑がかかるから、酒を飲むのはもうやめようよ」と本人を諭すのは何にもならないどころか、より孤立感を深めるかもしれません。一見すると、直截的で即効性のある解決法のようですが、自分たちの視点だけで見ている。多義性を認めていない。

 必要なのは、なぜ他害が生じる水準までお酒を飲んでしまうのだろうか、と困っている人の隣に座って考えることです。

 例えば、他人を信用できず、他人に頼れなくて、一人で悩んでいるのかもしれない。そういうケースは依存症では少なくないそうです。なので、そういった当事者の困り事を念頭に置いて支援していくと、当事者は一人ぼっちじゃなくなり、誰かに相談できるようになるかもしれない。そうなると、お酒以外にも依存先ができて、お酒だけに頼らなくて済むようになっていくかもしれません。そうなれば、必然的に飲酒量は前ほど要らなくなりますね。

 私はしばしば、この依存症の視点から社会を見ています。皆、孤立して困っているから、なんとなく分かりやすいソリューションに頼ってしまったり、強いロジックやエビデンスに見えるものに依存してしまったりするです。そしてその孤立が構造的に企業組織において発生している。こういう場合、必要なのは相手にとって必要な支援を行っていく「ケア」の考えに基づく変革支援ではないかと思います。

――最近、「ケア」という考え方がとみに重要視されているのは、そういうことなのでしょうか。時間はかかるけれど、地道に進めないと、寛解に近づかない、と。本書で最初に言及されている、リーダーシップ論の権威であるロナルド・ハイフェッツの「適応課題」もここに通じますか。 

 ハイフェッツは、外科医や精神科医の研修を経て、リーダーシップ研究に入っています。彼は、私たちが直面する問題を大きく2つに分類しました。1つは「技術的問題」で、技術的に解決できる問題です。もう1つが今日的な問題として重視した「適応課題」で、技術的にできることがないという状況に適応しなければならないという性質の問題です。

 彼は著書の中で、末期のがん患者とその家族への医師の対応について書いています。技術的な治療を施しようがなくなっても、患者や家族がその状況にどう適応するか、それをどう支援できるかが医師には求められます。例えば、生きている間にできることに目を向けてもらい、家族に今後どう生きていって欲しいかを話し合うことを促す、といったことです。

 問題に直面する当事者が、どうしたらいいかを見つけられるように、他者の誰かがケアをしていく。そうすることで少し先にいける。そこで、別の課題が出てくるから、また一緒に考える。そういうことを繰り返していくのが、適応をしていくということですよね。彼が適応課題として見ている世界は、本書で論じた企業の慢性疾患に通じると思います。

*第3回「構造的無能化という宿命について」に続きます。

(プロフィール)
宇田川元一(うだがわ・もとかず)
埼玉大学経済経営系大学院准教授
1977年生まれ。専門は経営戦略論・組織論。早稲田大学アジア太平洋研究センター助手、長崎大学経済学部准教授、西南学院大学商学部准教授を経て2016年より埼玉大学大学院人文社会科学研究科(通称:経済経営系大学院)准教授。企業変革、イノベーション推進の研究を行うほか、大手企業やスタートアップ企業の企業変革アドバイザーも務める。主な著書に『他者と働く──「わかりあえなさ」から始める組織論』(NewsPicksパブリッシング)、『組織が変わる──行き詰まりから一歩抜け出す対話の方法2 on 2』(ダイヤモンド社)。最新著書は『企業変革のジレンマ──「構造的無能化」はなぜ起きるのか (日本経済新聞出版)。