日本銀行は今年3月に利上げに踏み切り、7月には追加利上げを敢行した。しかし、植田日銀の利上げ手法は中央銀行の信認を揺るがしかねない。その理由は、1989年の米連邦公開市場委員会(FOMC)の議論を見ると理解できる。(東京大学大学院経済学研究科教授 渡辺 努)
拙速な利上げは避けてきた日銀
しばらく何もしなかった理由は?
日本銀行が最初の利上げに踏み切ったのは、今年3月19日のことだった。利上げの直接のきっかけになったのは春闘での賃上げが予想を上回る高い伸びになったことだ。その点は日銀自身も認めている。
興味深いのは両者のタイミングだ。連合が最初に春闘の集計結果を公表したのが3月15日、日銀が利上げを決めたのはその4日後だ。
24年春闘に入る前は、23年の賃上げが高かったので今年の賃上げは難しいというのが大方の見方だった。劣勢を挽回してようやくたどり着いた賃上げだ。
ところが、それに水を差すかのように間髪入れずの日銀の利上げだった。利上げとなればいかに小幅でも住宅ローン金利に影響する。苦労して勝ち取った賃上げの一部が利上げで帳消しになったという不満が労働組合から聞こえてくるが、それも納得できる。
労組の欲張りで賃上げが行き過ぎたので、懲らしめなければいけない。そう考えた中央銀行が鉄ついを下すかのように利上げをする。これであれば労組も表立っては文句を言えまい。私にもよく理解できる。
しかし実際はそうではない。
日銀はずっと、賃金の上昇率が低すぎると考えていた。であれば、本来は金利を下げるなどして賃金の押し上げを図るべきだったが、日銀はそうしなかった。23年4月に植田総裁に代わってからは特にその傾向が強かった。
では、その代わりに日銀は何をしたのか。日銀は何もしなかった。正確に言うと、拙速な利上げで賃金と物価の上昇の芽を摘むことは意図的に避けてきた。だが、賃金と物価を押し上げる緩和に向かうことはなかった。
日銀がしばらく何もしなかった理由はある程度察しがつく。
一つは、10年間にわたった異次元緩和は効果が限定的で副作用も大きかったことだ。世間の風当たりもきつい。そもそも金融緩和をしようにも、名目金利はゼロの下限にあるので、有効な手段がない。
もう一つの理由は、日銀の戦略にある。