自分を守る術を身に付けるのに
名誉毀損裁判は得難い経験

 訴状によると、原告はユニクロで、被告は文藝春秋。名誉毀損で訴えられているのは私が書いた『ユニクロ帝国の光と影』と「週刊文春」の記事だ。私自身は訴外、つまり訴訟の対象外という扱い。

 ユニクロ側が求めているのは、2億2000万円の賠償金に加え、本の回収と絶版、さらには大手新聞各紙への謝罪広告の掲載──だった。

 端的に言えば、ユニクロが2億円超の支払いを求めているのは、文藝春秋であって、私ではない。ならば、「あぁ助かった」と思うかと言えば、そんなことはない。

 本や雑誌記事を書いたのは私なのだから、この裁判は私に対するユニクロの攻撃であり、私自身がユニクロ側の言い分をはねのけない限り、私の著作物が正しいことを証明することはできない。

 裁判でどのような結果が出ようとも、長丁場になるのはわかっていた。そのため、文藝春秋とのチームワークが上手く発揮できるようにすることを第一に考えた。いろいろな作業が必要となり、ストレスがかかる場面があることも想像される中、二人三脚で共闘する文藝春秋との関係がギクシャクしては疲労感というより、徒労感を味わうことになってしまう。

 そこで私が考えたのが、動きやすい編集者とタッグを組むことだった。訴えられたのは本と週刊誌だったので、裁判に関わるはずの担当編集者は2人いた。その中で、より円滑に連携がとれる週刊誌の編集者と組むことができるようにと、お願いした。この人選のおかげで、その後の証人探しや裁判での証言などが、ずいぶんと楽に運ぶこととなる。

 名誉毀損裁判で、私が書いたものが訴えられるのははじめてのことだったが、これはジャーナリストとして自分を守る術を身に付けるのに得難い経験となった。

 災いを転じて福となす、というと座りがいい話に聞こえるかもしれないが、余裕をもって、そう思えるようになるのはすべて終わってからのこと。

 訴えられた当初は、どうすればいいのか皆目見当もつかず、ややもすれば、浮足立ちそうになった。