ネット検索の独占を理由に米司法省がGoogleを訴えた裁判で、ワシントンの連邦地裁は反トラスト法(独占禁止法)に抵触するとの判決を下し、司法省とGoogleに対して是正案の提出を求め、25年8月までに審理の結果を示すことになった。報道によると、司法省はスマホOSのAndroid、ブラウザのChrome、ネット広告配信基盤の分割を検討しているという。

プラットフォーマーは「全世界の公的な裁判所よりも多くの紛争を解決している」

「Google解体論」の背景にあるのが、アメリカの規制当局の競争政策の変化だ。1970年代からレーガン時代にかけて隆盛をきわめたシカゴ学派は、消費者の利益を損なわないかぎり、国際競争力の向上を優先して大企業の独占を容認してきた。その結果、Apple、MicrosoftからGoogle、Amazon、Meta(Facebook)、あるいは生成AI関連のベンチャーまで、「ビッグテック」や「プラットフォーマー」と呼ばれる支配的な企業群がアメリカから続々と生まれることになった。

アメリカで顕在化してきたプラットフォーマーと国家の対立。Googleは解体されるべきなのか?イラスト: チキタカ(tiquitaca) / PIXTA(ピクスタ)

 だがその一方では、とてつもない富の偏在が社会問題として意識されるようにもなった。イーロン・マスクやジェフ・ベゾスのように数十兆円の個人資産をもつ大富豪がいる一方で、中産階級から脱落し、家を失ってホームレス化したひとたちの怨嗟(えんさ)の声があふれているのだ。

 こうしてアメリカでは、「新ブランダイス学派」と呼ばれる法学者のグループが民主党内で大きな影響力をもつようになった。

 20世紀初頭、ルイス・ブランダイスは最高裁判事として労働者の権利を擁護し、鉄道会社など大企業の独占に反対する多くの判決を下した。バイデン政権は、「巨大企業の呪い」を唱えるコロンビア大学の法学者テム・ウーをブレーンとし、ビッグテックを批判してきた32歳のコロンビア大学准教授リナ・カーンを連邦取引委員会(FTC)委員長に抜擢、ビッグテックの反競争的な行為を訴える裁判に長年参加してきた弁護士のジョナサン・カーターを反トラスト局長に据えた。この3人を中心に、ブランダイスの理想を現代によみがえらせようとする法学者たちのグループが誕生し、新ブランダイス学派と呼ばれるようになった。

 ヴィリ・レードンヴィルタの『デジタルの皇帝たち プラットフォームが国家を超えるとき』(濱浦奈緒子訳/みすず書房)は、アメリカで顕在化してきたプラットフォーマーと国家の対立を、大西洋を越えたイギリスから論じている。レードンヴィルタはオックスフォード大教授で、「デジタル労働市場の分析ではとくに高い評価を受けている」という。原題は“Cloud Empires; How Digital Platformers Are Overtaking the State and How We Can Regain Control(クラウドの帝国 デジタルプラットフォーマーはどのように国家を超え、私たちはどのようにコントロールを取り戻すことができるか)。

 レードンヴィルタは本書の冒頭で、「バングラデシュの仕入れ先に対する支払いをアメリカのある企業が拒否した」という紛争を裁くザラ・カーンという女性を紹介する。だが彼女は裁判官ではなく、そればかりか法律を専門的に学んだこともない。仮想秘書(バーチャルアシスタント)の仕事のあと、簡単な研修を受けて、デジタルマーケットプレイスで起きる少額紛争を解決する仕事に就いたのだ。

 そんな彼女は、裁判所の裁判官よりも多くの民事紛争を裁いている。2017年のレポートによれば、eBay1社だけで1年で6000万件以上の紛争を処理した。それに対してイギリスの裁判所で処理された訴訟は400万件で、アメリカでは9000万件の訴訟が処理されたが、その多くは交通違反だ。Airbnb、Amazon、Google、Uber、Upworkなどのデジタルプラットフォーマーはみな、eBayと同様の紛争処理部門をもっている。それらを合わせれば、いまではプラットフォーマーは「全世界の公的な裁判所よりも多くの紛争を解決している」のだ。

 私たちが日常生活で従う規則を、プラットフォーム企業が定めるようになっている。何が許され、何が禁止され、誰と誰が交流し、どのような種類の合意が可能で、物事が間違った方向に進んだときに、実際にはどのような種類の権利や補償を得られるのか。これらをプラットフォーム企業が思いのままにしている。こうした企業がデジタルでのある種の政府になっていると言っても過言ではない。

 このように書くレードンヴィルタは、この状況をどのように変えていくべきだと考えているのだろうか。

サイバースペースで自らの理想を実現しようとしたリバタリアンたちは最終的には、憎んでいた「国家」に似てくる

『デジタルの皇帝たち』は、インターネット(サイバースペース)の歴史から話を始める。

 ジョン・ベリー・バーロウは60年代のカウンター・カルチャーを象徴するロックバンド、グレイトフル・デッドのサークルの一員で、作詞家としても知られていた。リバタリアンで共和党を支持するバーロウは、自分が生まれ育ったワイオミングの農場のような親密な人間関係を求めるコミュニタリアン(共同体主義者)でもあった。

 1980年代にインターネットを知ったバーロウは、自由と共働の新たな可能性に衝撃を受け、サイバー社会を政府の介入から守るべく「電子フロンティア財団」を設立し、「サイバースペース独立宣言」を起草した。

 ピエール・モラド・オミダイアはイラン人の両親のもとパリで生まれ、6歳のときに両親とともにアメリカに移住した。言語学者の母親に連れられて転校を繰り返したオミダイアは友だちをつくることができず、多くの時間をコンピュータとともに過ごした。

 リバタリアンとして市場と資本主義に魅了されたオミダイアは、「自分のような移民のアウトサイダーを含め、誰にでも同じ成功のチャンスを提供する」自由で開かれた市場をつくろうと考えた。こうして始めた趣味のプロジェクトが、オンラインのオークションサイトeBayになる。

 ペンシルべニア州立大学大学院を優秀な成績で卒業したロス・ウルブリヒトは、リバタリアン思想について学ぶなかで、カリフォルニア州を拠点に扇情的な活動を行なったサミュエル・コンキンの思想に出会った。コンキンは、国家やその強制的な力は、より自由な社会にとっての妨げであると信じていた。そして、国家の政治体制を利用して国家を解体しようとするのではなく、闇取引という手段で国家に対し直接行動するよう説いた。

 闇取引は、国家を税収不足に追いやって苦しめながら、参加者には個人の自由を拡大する。「国家から逃れ、離れ、無視せよ」「国家統制による束縛を捨て去る人こそが、ただちに喜びを得られるのだ」というコンキンの理想をサイバースペースで実現すべく、ウルブリヒトはTorとビットコインを利用して、ドラッグから銃まで、合法・非合法にかかわらずあらゆるモノを匿名で売買できるサイト「シルクロード」を独力でつくりあげた。

 大富豪となったオミダイアや、ネット界の思想リーダーとして尊敬を集めたバーロウと、マネーロンダリングや麻薬密売の共謀などの罪で逮捕され、2度の終身刑に加えて仮釈放のない懲役40年の判決を受けたウルブリヒトの運命はまったく異なるが、この3人に共通するのは、サイバースペースで自らの理想を実現しようとしたリバタリアンであることと、最終的には、その理想が裏切られたことだとレードンヴィルタはいう。詳しくは本書を読んでほしいが、その原因をひとことでいうならば、「ユーザーの認知能力にはばらつきがある」になるだろう。

 非合理的な行動をするユーザーがいると、それをカモにして手っ取り早く金儲けをしようとする者が現われる。そうした不正からユーザーを守ろうとすると、リバタリアンの管理者はどんどん中央集権的な振る舞いをせざるを得なくなり、もっとも憎んでいた存在、すなわち「国家」に似てくるのだ。