米系エアラインの日本~アジア線
なぜ、なくなったのか?

 ある年齢以上の人なら、ユナイテッド航空が1990年代から2000年代にかけて、多くの成田路線を運航していたのはご存じだろう。それには、航空産業の歴史が関係している。

 第二次世界大戦後、日本の民間航空の立ち上げに大きく貢献したパンアメリカン航空(1927~1991年)には、米国から日本止まりの便だけでなく、日本着後さらにアジア各地に向かう路線(いわゆる以遠権路線)の運航が、無制限に認められていた。

 そのため羽田や成田からは米国各地、アジア各地に多くの路線があり、到着便が集中する夕方の羽田や成田は、まるで米国の空港のような雰囲気を醸し出していた。

 このパンアメリカン航空の太平洋路線を受け継いだのがユナイテッド航空で、成田空港の「ハブ機能」を維持して、米国だけでなく北京、上海、ソウル、台北、香港、バンコク、シンガポールへの路線を運航していた。これらの路線は日本でも発売され、大型機中心のためか料金も比較的安く、旅行者には人気の路線であった。

 しかし、無制限というのがやっかみを買った。ただでさえ少ない発着枠を圧迫し、とんでもなく不公平だという批判が、日本の航空業界からは相次いだ。

 また、飛行機の性能向上やLCCの台頭、アジア諸国の経済成長もあり、次第に直行便が増えていった。こうして、ユナイテッド航空のアジア路線は、2017年のソウル線運休を最後に、いったんは消滅した。