「自分の死」と「他人の死」を混同してはいけない
「固有性―これは『死はおまえ固有のものである』という意味で、ようするに『死はおまえ個人にだけ起こり、他人には代理不可能な出来事である』ということだ」
「死は私にだけ起こる……?」
「これも同じ話だ。『自分の死』と『他人の死』を混同してはいけない。たいていの場合、人が『死』を考えるとき『他人の死』について考えがちであるが、繰り返すが、今我々が議論している『死』は『自分の死』についてだ。
そして、実際、『他人の死』と『自分の死』はその性質が根本的に異なっている。だってそうだろう。『他人の死』は誰でも眺めることができるが、『自分の死』は『自分にしか経験できないこと』ではないか。そもそも、今この景色をリアルに見ている『この自分』がいなくなること……それが今我々が議論している『死』の定義であるとするならば、それは当然『この自分』にしか起きないことである」
「死は、『この自分』にしか起きない……」
「そうだ。そして、死が『この自分にしか起きない』ということは、言い換えれば、他者には決して代理できない……交換不可能な出来事だと言える」
死は他者と交換できない。これについて誰かが身代わりになって命を救ってくれる反例が一瞬思い浮かんだが、それは本質的な意味での交換ではないのだろう。仮に私の病が大臣に移り、大臣が代わりに死んだとしても、私がいつか必ず死ぬことには変わりはないわけで、そして、いよいよ死ぬとなったときに、その「死」を誰かが肩代わりしてくれるというのはやはり不可能である。
それに、そもそもとして「私の死」は「私」にしか起きないという、当たり前の話なのだから、どうしたって覆しようがない。
(本原稿は『あした死ぬ幸福の王子ーーストーリーで学ぶ「ハイデガー哲学」』の第4章を一部抜粋・編集したものです)