三田紀房の投資マンガ『インベスターZ』を題材に、経済コラムニストで元日経新聞編集委員の高井宏章が経済の仕組みをイチから紐解く連載コラム「インベスターZで学ぶ経済教室」。第137回は「必要な備え」と「過剰な備え」の違いを考察する。
「生命保険かけまくり」20代の衝撃の言葉
生保レディの安ヶ平真知子は万が一に備える保険を「家族が安心して暮らす心のサポート」「未来を支え合う愛情の証」と言い換える。硬軟取り混ぜた巧みなセールストークに引き込まれ、主人公・財前孝史の母は保険加入へと気持ちが傾く。
「長期的にみると、私たちみな死んでしまう(In the long run we are all dead.)」は経済学者ケインズのあまりに有名な言葉だ。
いずれは死ぬにしても、想定外に早すぎる死と想定外に遅すぎる死は、人生のリスクになりうる。生命保険は前者に、終身で支給される公的年金は後者への備えと考えられる。
「早すぎる死」に保険でどう備えるか。私は20代前半の頃、強烈な「反面教師」に出会った。少し年上のその知人は、私の目にはかなり過大な生命保険を契約していた。月々の保険料の支払額は、当時私の住んでいたワンルームマンションの家賃とさほど変わらなかった。
その人はまだ独身で、父母の面倒を見なければならないといった事情があったわけでもなかった。私自身はまだ生命保険に入ってもいなかったので、とても驚いた。
「何のためにそんなに保険に入るんですか」と素朴な質問をぶつけると、「自分に付加価値を付けようと思ってね」という答えが返ってきた。
意味が飲み込めず困惑していると、「保険は貯金のようなものだし、万が一のことがあっても大丈夫と思えば、結婚する相手も安心するだろう」と話してくれた。
その人はその時点ではお付き合いしているパートナーがいたわけでもなかった。作中のフレーズを借りれば、まだ見ぬ家族のための「愛情の証」を準備していたわけだ。
死亡保障は「葬式代プラスアルファ」
自分のお金をどう生かそうが、保険とどう付き合おうが、個人の自由だ。知人の選択に口を挟むつもりはない。
だが、この知人の話をきっかけに、「誰のためにどこまで備えるか」を保険選びで明確に意識するようになった。その結果、「保険は最小限に抑える」を基本としてこれまでプランを組み立ててきた。
まず土台となる死亡保障は「葬式代プラスアルファ」に抑えた。その後、結婚して子どもが生まれてから、掛け捨てで収入保障保険を追加した。死亡もしくは働けないほどの病気やケガの際に一定金額を月々受け取れるタイプの保険だ。
最後に念のため、長期で入院しなければならない事態に備える少額の医療保険にも加入した。「死にきれない」のもリスクという発想だ。
最小限というわりに手厚いじゃないか、と思われるかもしれない。とはいえ、月々の保険料は大した額ではない。リスクヘッジの匙加減を「私が30~40代で死ぬか働けなくなったら、家族の人生はハードモードになる」という程度に設定したからだ。
力を合わせて乗り切れないことはないが、大変になるのは間違いない。ちなみに我が家は長年、稼ぎ手は私一人で妻は専業主婦だ。
保証を厚くすれば「私が死んでも問題なし」には設定できる。しかし、保険料負担で貯蓄や投資に回せる原資は減る。
そして何より「今」を楽しめる余裕が削られる。貴族じゃないんだから、稼ぎ手の父親が早死にしたら苦労しなきゃいけないのは諦めてくれ、と割り切ってプランを練った。
三姉妹の三女が先日成人し、あと数年で何とか逃げ切りが見えてきたかな、と思っている。掛け捨ての保険が「無駄」になって、本当に良かった。