戦後最大のフィクサーの「操り人形」
甚八亡き後、永田町で働くレイ子を裏でコントロールしているのは鬼頭だ。
とどのつまり、レイ子は「自由党の生みの親である真木甚八の娘」であると同時に「政財界に隠然たる力を持つ右翼の大立者、鬼頭紘太の操り人形」なのである。鬼頭が彼女に与えたミッションは、吉田内閣の“お目付け役”だった。
実は、鬼頭が心酔しているのは総理の吉田ではなく、吉田のライバルである鳩山一郎のほうだった。鳩山を総理にして、自主憲法の制定と再軍備をやらせようというのだ。鬼頭にとって吉田は、鳩山の公職追放が解けるまでのリリーフ役にすぎなかった。
「ワンマン宰相」といわれるほど強権を振るった吉田ですら、レイ子を軽く扱うことはできなかった。なぜなら、吉田内閣の誕生に甚八が一役買っていたからだ。戦後初の総選挙で第一党となった日本自由党の党首は鳩山だった。憲政の常道からすれば当然、鳩山が総理になるべきところだ。しかし、彼はGHQから疎まれ、組閣の直前に公職追放の憂き目に遭った。日本政界が茫然自失に陥ったとき、「鳩山がダメなら吉田しかない」と主張し、反吉田派をなだめたのが甚八だった。
吉田は、レイ子を「甚八と、その裏にいる鬼頭の回し者」だと分かった上で側に置いているのだ。プライドが高い吉田は、レイ子を「女優のディアナ・ダービンに似ているな」などと言ってかわいがり、「外務省の役人より頭がいい」などとおだてた。甚八や鬼頭から求められたからではなく、才色兼備だから重用しているということにしたいからだった。
だが、6年以上続いた吉田内閣も、いよいよ終焉が近づいていた。大磯の吉田邸に向かう車中で、レイ子は深い息をついた。3時間も悪路を走って大磯詣でをするのもこれで最後かもしれないと思う一方、政権の“お目付け役”としての役割が終わるからといって、鬼頭から解放してもらえるなどという期待は抱かないほうがいいと、戒める気持ちが強かった。鬼頭はレイ子の後ろ盾であると同時に手かせ足かせだった。
吉田内閣を追い詰めたのは造船疑獄だ。海運会社などからカネを受け取っていた自由党幹事長の佐藤栄作の逮捕請求を、吉田は、法務大臣に指揮権を発動させることで強引に阻止した。レイ子が佐藤にリンゴの唄を歌わせた直後の4月のことだった。指揮権発動で佐藤の身は守られたが、世論の反発は強かった。言論界から厳しい批判を浴び、内閣は土俵際に追い込まれていた。
「葉巻を届けるのもこれで最後ですかね。アメリカさんは変わらず贈ってくるだろうから、余っちゃうな。葉巻は嫌いですか」
「いや、僕は酒とたばこで十分だ」
粕谷はそう言うと、紙巻のたばこに火をつけた。
レイ子は進駐軍から仕入れた葉巻を大磯に届けていた。吉田は葉巻に目がなかった。GHQ本部でマッカーサーと会見した際に葉巻を勧められ、「マニラ産でしたら結構です。ハバナ産しか吸わないので」と断ったというエピソードを盛んに喧伝しているが、日常では最高級のハバナ産以外も吸っていた。
ライバルの鳩山はいよいよ天下取りに向けて勝負に出ていた。彼が自由党を離党し、日本民主党を結成したのはつい昨日のことだ。吉田の貴族趣味やワンマンぶりに嫌気が差している国民は、新しいリーダーを求めていた。
「鳩山氏政権奪取へ 新党結成」。朝刊の一面トップの見出しだ。政権交代を前にした国民の期待感、高揚感が表れていた。吉田内閣が退陣すれば、次に政権を握るのは鳩山に違いなかった。つまり、鬼頭の高笑いが聞こえてきそうな状況だった。
日本政治の来し方行く末に思いを巡らしているレイ子に、粕谷が言った。
「もし内閣が倒れても、あなたは永田町から足を洗うことはできませんよ。いっそのこと腹を決めて、権力を手にすればいい。鬼頭さんも、私も、あと30年は生きないでしょうから。それまでの辛抱です」
粕谷は正面を向いたまま、目を合わせようとはしなかった。彼自身も自らに言い聞かせているのかもしれない。「覚悟を決めろ」と。甚八や鬼頭の資金は、上海の租界にいた欧米人を含め、中国大陸や朝鮮、マレー半島の人びとから略奪したもので、いわば血塗られたカネだ。そんなものに一度関わってしまったら、そこから抜け出すことなどできはしないのだ。
レイ子は、自分の数奇な運命を思った。彼女は芸者の娘だ。芸者の世界では、女の子は6歳の6月6日にお稽古事を始める。彼女もそうだった。あのまま三味線や長唄を極めてその世界に生き続ける道もあったかもしれない。だが、そうはならなかった。なぜなのか。彼女は答えのない問いに思いを巡らせながら、茅ケ崎海岸に打ち寄せる波を見ていた。
(つづく)
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