企業でも個人でも多様性がますます尊重される時代に入っていく中で、どのように生き、働いていけばよいか、経験豊かな5人のプロフェッショナルに聞いた。3人目は、プロデューサーとして、音楽をはじめ教育やゲーム制作でも活躍するつんく♂さん。今の時代に就活生が持つべき視点とは何か。自身のキャリアを基に若者へのアドバイスを語ってくれた。(取材・文/奥田由意、撮影/加藤昌人、スタイリスト/山田ひとみ、ヘアメイク/坂野井秀明(Alpha Knot)、衣装協力/Natural Lounge)
自分が勝負できる
フィールドを見つける
――つんく♂さんの音楽活動の原点は何でしたか。
テレビで「ちびっこ歌うま」系の番組を見るのが好きで、歌手の西川(現仁支川)峰子さんがそういう番組からプロデビューするのを「かっこいいなぁ」と見ていました。
深夜ラジオも小学生の頃からよく聴いていて、中学生のときは番組で流れた曲を録音して、昼休みにみんなに聴かせたりしてましたね。まだみんなが知らないオモロイ曲を共有したい。今の言葉で言えば「バズらせたい」と思った。
――その頃からプロデューサーとしての視点も持っていたのですね。
周囲を面白がらせたい、その場を盛り上げたい、仕掛けられるより仕掛ける側に回りたいと考えていました。天邪鬼なところもあって、周囲がやっているのとは違うことや何か新しいことを仕掛けて、みんなを楽しませたかった。
子ども時代にいろいろ習い事をして、ピアノでも水泳でも、生半可な練習では太刀打ちできない天才がいると分かった。それでもいろんなことに挑戦して、集中すれば、まあまあ他人よりうまくなる。でも、壁にぶつかるから次を探すといった器用貧乏タイプでしたね。
――大学時代にシャ乱Qを結成し、就職活動で得た信用金庫の内定を辞退。期限を2年と決め、音楽活動を継続したそうですね。
当時はバンドブームで、誰でも音楽活動ができる雰囲気がありました。テクニックだけでなく、勢いが あり、観客の心をつかんで人気が出ればプロになれるかもと思った。
いろいろ工夫して、大阪ではある程度観客も動員できて人気も出た。「バンド」というツールを使えば、東京に行っても芸能界でやれるんじゃないかと考えた。有名なコンテストで日本一になってやるという目標に的を絞りました。