なかなかヒットが出なかった時代
世間で売れている曲を分析した

――世の中の状況を俯瞰して、どこで勝負すればいいのかが見えていたのですね。有名コンテストで優勝し、プロダクションと契約して上京しました。下積み時代に意識して取り組んだことは何ですか。

 そこからが本当の勝負でした。なかなかヒットが出なかった。テレビに出れば売れる時代でしたが、ヒット曲もタイアップもないので出られない。悔しいからテレビを見ない。そんな毎日でした。

 ただ、時間だけはあって、世間で売れている曲や過去の名曲を分析するようになりました。時代背景がこうだからこういう曲が売れるとか、売れるコード進行の仕組みなどの表面的な分析から始まり、次第にもっと深いところ、バンドサウンドとかロックの定義から始まって、僕が過去に気に入った曲の根幹、骨組みはどうなっているかを考えるようになりました。

――デビュー2年後に発売した『シングルベッド』が大ヒット。その後もミリオンセラーを連発します。

 これが最後のシングルリリースになるかもしれない。だったら何も気取らず飾らず自分の中にあるものを出し切ろうと書き上げた。

 これで終わりでもいい、やれることは全部やったという達成感はありました。発売から半年で、ジリジリとヒット。まさかミリオンセラーになるとは思えないくらいのスローペースだったので、ヒットの実感なんて全くなかった(笑)。

 その後は売れない時期に学んだいろんなことを実践する→世間の反応を見るの繰り返しでした。日々実験している感覚でしたね。

――同時にプロデューサーとしての活動も開始されました。モーニング娘。の『LOVEマシーン』などは社会現象になりましたが、当時を振り返っての感想は?

 シャ乱Qでは表現できない(あえてしない)僕の得意(好き)なジャンルを作品化できるという興奮があり、それがヒットすることで、新しいヒントをつかみバンドに持ち帰るという流れは大変勉強になりました。シャ乱Qで曲を作ってレコーディングして、それを持って全国ツアーをする。僕が1年365日×24時間でできることには限界がある。

 それを違う歌手やグループがいろんな所で歌ってくれることで、僕の時間制限を超えて、僕の作品が別の道を歩き出す。自分が分身の術で拡散していく感じも興奮材料の一つでした。