こういう驚きのある情報やデータはコンテンツと呼んでも良さそうです。

 逆に小説を書いたとしても、その文章によって誰の心も動かないのであればコンテンツではないということです。小説でも何でもないはちゃめちゃな文章でも、誰かの心を動かせたらそれはコンテンツです。コンテンツになり得るかどうかは「感情が生まれるかどうか」が分岐点。ここでは、「何かしら心が動くもの」をコンテンツと定義して、話を進めていきたいと思います。

 やや感覚的な話になりますが、これから世界はますます「コンテンツ化」していくと思っています。「映画や漫画などのコンテンツが増えていく」と言いたいわけではありません。「世界自体がコンテンツ化していく」ということです。世界のあらゆるものごとが感情を動かすコンテンツになっていくのではないか。

 理由としては2つあります。

 ひとつはデジタル化の進展です。コロナ禍を経て、あらゆるものごとがますますデジタルに移行しました。誰もがスマホやPCなどのデバイスを使うようになった。ネットに接続せずに生活することはかなり難しくなりました。

「情報化社会」から
「コンテンツ化社会」へ

 デジタルの世界では仕事もプライベートも「地続き」になります。あらゆる情報が横並びになります。Netflixも、ECサイトも、採用ページも、お役所のサイトも、すべてが横並びになる。そんな中で「ただ情報を置いておく」だけでは多くの人に届かなくなってきているのです。耳目を集めたいなら、よりわかりやすく、よりおもしろくしなければいけない。そんな時代に突入しています。

 もうひとつは生活がより高度化したからです。

 現代の日本人の多くは、衣食住に困らない生活を送っています。すると人は次に何を求め、何にお金を使うようになるのか?独立研究者の山口周さんは『ビジネスの未来』(プレジデント社)の中で「人類が長らく夢に見続けた『物質的不足の解消』という宿題をほぼ実現しつつある」とした上で、こう述べています。

「便利さ」よりは「豊かさ」が、「機能」よりは「情緒」が、「効率」よりは「ロマン」が、より価値のあるものとして求められることになるでしょう。そして、一人一人が個性を発揮し、それぞれの領域で「役に立つ」ことよりも「意味がある」ことを追求することで、社会の多様化がすすみ、固有の「意味」に共感する顧客とのあいだで、貨幣交換だけでつながっていた経済的関係とは異なる強い心理的つながりを形成することになるでしょう。