ティファニーとシティホテルで15万円!令和の若者が驚愕する「昭和のクリスマスデート」写真はイメージです Photo:PIXTA 

もうすぐクリスマス。しかし、街はけっして「クリスマス一色」というわけではありません。昭和の時代、クリスマスは若者にとって「全力で挑む一大イベント」でした。男性も女性も、夢や期待や野望に胸をふくらませたものです。すっかり静かになった令和のクリスマスを横目に、“昭和人間”としてかつてのパワーと勢いを自分の中に蘇らせるべく、昭和のクリスマス事情を振り返ってみましょう。(コラムニスト 石原壮一郎)

昭和人間にとってクリスマスは
「一世一代の大勝負の日」だった

 クリスマスが「カップルの祭典」として盛り上がり始めたのは1980年代、昭和でいうと50年代後半から60年代ぐらいでしょうか。現在の60代が若者だった頃です。当時の若者は、実り多いクリスマスを夢見て、せっせとバイト代を貯めたりオシャレなレストランの情報を集めたり、客観的には七五三にしか見えないジャケットを買ったりしたものです。

 それより前の昭和40年代から、バタークリームのデコレーションケーキを家族で食べたり、子どもの枕元に親がプレゼントを置いたりといった習慣は、けっこう広がっていました。

 ところが、松任谷由実が歌った『恋人がサンタクロース』(昭和55年12月に発売されたアルバム『SURF&SNOW』に収録)の大ヒットをきっかけに、クリスマスは家族のイベントから恋人たちのイベントへと変貌を遂げます。

 世の中は、やがて迎える「バブル」に向けて、何となく浮かれた雰囲気に包まれていました。クリスマスが近づいてくると、若者向けの雑誌には、クリスマスで彼女に感激してもらうデートプランや、彼氏とロマンチックに過ごすためのノウハウが事細かに紹介されました。それを読む若い男女の頭の中では、妄想が無限にふくらんだものです。

 とくに、付き合い始めたばかりの恋人がいる若者は、「クリスマスという絶好の口実」を生かして「より深い関係」に発展することを夢見ていました。

 当時は「より深い関係」に至る道のりが、今よりもはるかに遠く、それだけにクリスマスに賭ける思いは並々ならぬものがありました。

 恋人がいない若者も、「一緒にクリスマスを過ごす相手を見つけなければ」という一種の強迫観念にかられて、秋ごろから憎からず思う相手に果敢にアプローチしたものです。場合によっては次々と何人も。

 女性は女性で「ひとりでクリスマスを過ごすのは恥」と思う人もいて、大らかな気持ちで「まあ、このへんでいいか」と手を打つ傾向も少しありました。