94年には同居していたイタリア人の詩人の彼との間に男児が生まれる。経済的依存度が高く、社会性が欠けていた彼との別れを決意し、女手ひとつの子育ての日々が始まった。

「子どもとふたり、生き抜いていくには何でもやるしかない。好き嫌いや得手不得手で仕事を選んでいる場合ではありませんでした」

 自分には向いていないのではないかと思えた事務職や、テレビの温泉リポーター、大学の教師、エッセイスト、通訳……と片っ端からなりふり構わずやった。

 そんな中でも自分に向いていると思った仕事が、漫画だった。

「私の専門は美術史と油絵で、漫画家になろうと思ったことはありませんでした。ただ、絵でお金になる数少ない職業として、試しに漫画という表現を試してみたのです。担当編集者のアドバイスに耳を傾け、何度も描き直しをすることも厭いませんでした」

 しかし、日本の読者の嗜好や受けを意識した漫画を描くことが苦痛になり、自分独自の世界観を優先にして描いた『テルマエ・ロマエ』がヒットしたのは2010年。42歳になっていた。
ヤマザキさんの諦めない気持ち、イタリア留学で得た知識、苦悩の青春時代が結実した結果だった。

親として、子どもに
どう向き合うか

 息子のデルスさんは今30歳。この母にしてこの子ありで、彼もまた自由に生きている。

「数学が得意だった息子は工学部に進みロボット工学を学びました。そのままそっちの方向に行くと思っていたら、途中で全く違う文化芸術の方に興味関心が移っていった。そういう話をすると誰もが『工学の知識を生かさないなんてもったいない』と心配します」

 ところがヤマザキさんは、自身の生き方を踏まえ、もったいないかどうかは本人が最終的に決めることだと考えた。

「ものすごく苦労して勉強してきた結果がそれなのだから、私が口出しすることではありません」

仕事は好きなことから選ぶべき?→漫画家ヤマザキマリ氏の答えが正論すぎて、ぐうの音も出ないやまざき・まり/1967年東京生まれ。東京造形大学客員教授。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。エジプト、シリア、ポルトガル、米国などの国々に暮らす。2010年『テルマエ・ロマエ』でマンガ大賞2010受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞愛賞。著書に『プリニウス』(とり・みきと共著)『オリンピア・キュクロス』など多数。現在、『続テルマエ・ロマエ』を集英社「少年ジャンプ+」で連載中。
(撮影/加藤昌人、ヘアメイク/田光一恵〈TRUE〉)