2024年10月の衆院選では、自民党が大きく議席を減らし、少数与党へ転落した。その敗因のひとつには、裏金問題がある。昔から現在までの「政治とカネ」について、石原慎太郎氏の側近だった濵渦武生氏と元国会議員の江本孟紀氏が語り合う。※本稿は、濵渦武生・江本孟紀『政治家ぶっちゃけ話「石原慎太郎の参謀」が語る、あのニュースの真相』(清談社Publico)の一部を抜粋・編集したものです。
札束を手づかみで渡し
「議員活動に使ってくれ」
――1992(平成4)年7月の参院選で晴れて初当選した江本はスポーツ平和党の参議院議員として、アントニオ猪木と活動をともにしていく。
濵渦 江本さんと猪木さんが所属していたスポーツ平和党は、参議院では民社党と会派を組んだんですよね。
江本 あのころは、「民社党・スポーツ・国民連合」という名前で会派を組んでいました。私たちのほかに大阪府選挙区の西川きよしさんや横山ノックさん(タレント、のちに大阪府知事)、東京都選挙区の森田健作さん(タレント、のちに千葉県知事)も一緒でしたね。
私たちの会派は、どちらかといえば自民党の補完政党のような感じで、森喜朗さんが世話役で、自民党参議院の幹部だった村上正邦さんも面倒を見てくれました。
同じ会派だからということで、猪木さんに「民社党の大内(啓伍)委員長のところに行こう」と言われて議員会館の部屋を訪ねて挨拶したんです。それで部屋から出てくる際に、記者さんたちもいる前で、猪木さんが札束を手づかみでゴッソリ握っていたんです。
猪木さんの部屋に戻ったら、そのうちの3束くらいを私に渡しながら、「江本さん、議員活動に使ってくれ」と。驚きましたが、まだあのころは一連の政治改革法案なんかも成立する前で、おおらかな時代というか、おおらかすぎる時代でしたね(笑)。
いまも政治資金パーティーの裏金が大きな問題になっていますが、あのころの永田町を知っていると、かわいい話だなと思ってしまうところがありますね。
濵渦 自民党と社会党で談合していた時代の、かつての国対政治もひどかったですよ。
与党の国会対策委員の仕事は野党の国会対策委員と賭け麻雀をして、わざと負けて、相手に何百万円も持ち帰らせることなんです。そのお金を自分で懐に入れていた議員は出世できません。自分の懐に入れずに、党に持ち帰って子分や若手議員にばら撒いた人が、その後、頭角を現していく。国対で談合政治をしていた時代は、完全にそういうことが当たり前でした。