コピーライターとして、1980年代の寵児だった糸井重里氏。その糸井氏が「クリエイティブがイニシアティブを握る新たなメディア」として1998年に立ち上げたのが、『ほぼ日刊イトイ新聞』である。20年以上にわたり読者から支持される人気サイトでありながら、インターネットメディアの常套手段であるサブスクリプション(定期購読)も広告掲載もいっさい行っていない。話題のニュースを追いかけて、ページビューを稼ぐわけでもない。にもかかわらず、高収益サイトとして自走できるのはなぜなのか。
最大の理由は、読者の圧倒的な支持を得たヒット商品が生まれていることにある。その象徴が、2001年に誕生した「ほぼ日手帳」だ。彼らが「LIFEのBOOK」と例えるほぼ日手帳は、生活に根差した機能に徹底的にこだわり、いまなお進化を続けている。累計販売部数は1000万部を超え、ユーザーは日本に留まることなく100を超える国と地域にまで拡大。ロングセラーかつグローバルなメガヒット商品へと成長を遂げた。
この成功を支えているのは、手帳に限らずすべての商品およびコンテンツに通底している「目利き」と「クリエイティブ」である。『ほぼ日刊イトイ新聞』にはユニークなモノとコトがそこかしこに埋め込まれ、デジタルなメディアでありながら、アナログな雰囲気であふれている。こうした独自の世界観が多くの読者を惹き付け、ヒット商品を生んでいるゆえんだろう。
その運営会社であるほぼ日は、2017年に東京証券取引所のジャスダック市場(現スタンダード市場)に上場を果たした。しかも糸井氏は、上場後初の株主総会の席で「株価や売上高を目標としない」と公言。総会後の株主ミーティングでは、「会社は株主のものではない」というメッセージを発信した。のっけから個性全開の上場だったのである。
糸井氏のこうした発言は、2017年当時においては異例のものとして受け止められた。だがその後、2019年にはアメリカの主要企業が名を連ねる「ビジネスラウンドテーブル」が、翌2020年には「世界経済フォーラム年次総会」(通称ダボス会議)が、ステークホルダー資本主義への移行を宣言したことは記憶に新しい。世界の企業もそれに追随する形で多様なステークホルダーとの対話を重視した戦略を加速させており、株主資本主義は前時代のものとなりつつある。
しかしながら、さまざまな制約が存在し、ともすれば拝金主義に陥りかねない株式市場の中で、個性を発揮し続けることは容易ではない。上場の有無に限らず、組織は大きくなるほどルールが増え、知らずしらずのうちにそれに縛られて活力を失ってしまうことが少なくない。いわゆる大企業病である。その病床から脱しようと多くの企業が標榜し始めているのが、社員それぞれがみずからの意思や判断で行動する「自律分散型組織」である。
実はほぼ日は、この自律分散型組織を体現する稀有な上場企業でもある。社員の名刺には、組織名や肩書きがいっさい書かれていない。企画、編集、デザイン、マーケティングなど大まかな役割はあっても、縦割りの組織になっておらず、管理職といった職制もないという。また同社の事業は、動機を持った人が手を挙げて、そこに仲間が集まることが基本となる。社員の自主性に委ねられたさまざまなプロジェクトが創発、運営されているというから驚きだ。上場企業でありながら、なぜこのようなマネジメントができるのだろう。
糸井氏の著書『ほぼ日刊イトイ新聞の本』(講談社文庫、2004年)の巻末に解説を寄せた作家の重松清氏は、こう記している。「どう転んでいくかわからない。だからこその『ほぼ』。『ほぼ』の余白は、転がっていくためのスペースでもある」「可能性とリスクをはらみ、それが何よりの魅力である」と。
「時代に合わせすぎないことでしか、自分たちの役割は見つからない」と断言し、株式会社に人間的な人格を吹き込んでいるように見えるほぼ日。糸井氏の信念を形にした企業から、我々が学ぶことは多いはずだ。
限界を打ち破るための
ほぼ日流の株式上場
編集部(以下青文字):糸井さんが代表を務めるほぼ日は、2017年3月に、東京証券取引所のジャスダック市場に上場されました。制約の多い株式市場ではユニークなクリエイティブ集団である貴社のよさや強みが失われるのではないか、という心配や反対の声もあったと聞きます。これまでに幾度となく尋ねられた質問かもしれませんが、なぜ上場をしたのか、その真意をお聞かせください。
糸井重里
SHIGESATO ITOI 1948年、群馬県生まれ。コピーライターとして、西武百貨店の広告での「おいしい生活。」をはじめ、数多くのキャッチコピーで知られる。任天堂から発売されたロールプレイングゲーム『MOTHER』の企画/シナリオ制作/プロデュースのほか、作詞やエッセイ執筆など、多彩な分野で活躍。1979年に東京糸井重里事務所を設立し、1998年にクリエイティブがイニシアティブを握る新たなインターネットメディア『ほぼ日刊イトイ新聞』を創刊。独自の目利きとクリエイティブでファンを獲得し、コンテンツ発信だけでなく、「ほぼ日手帳」をはじめとするヒット商品を生み出してきた。2002年に個人事務所を株式会社に改組し、2016年12月に現在のほぼ日に社名変更。翌2017年には、東京証券取引所ジャスダック市場(現スタンダード市場)に上場。「利益を目的としない、やわらかい上場」とみずから称したように、上場企業でありながら独自のスタイルを貫いている。
糸井(以下略):一人でできることの限界は、フリーランスとして活動する中でいろいろ学んできました。そんな僕が「チームの仕事をしてみよう」と決意して立ち上げたのが、『ほぼ日刊イトイ新聞』です。いまから26年前、1998年のことでした。『ほぼ日刊イトイ新聞』は独自のスタイルが評判を呼び、ここからさまざまな事業が生まれました。
代表的なものが手帳事業です。ほぼ日手帳は累計販売部数が1000万部を超え、全社売上げの6割を占める主力事業に育ちました。手帳事業の成功は、ウェブの世界からリアルなモノ売りの世界へと僕たちの活動領域を広げてくれた転換点であり、「事業が僕の背丈を超えた」と感じた瞬間でもありました。そこで2016年、社名を「東京糸井重里事務所」から「ほぼ日」に変更しました。
ほぼ日手帳も含めて、一つひとつの事業を手づくりしながら大切に育ててきたわけですが、ある時、僕の中にふと違和感が生まれました。トゲのように引っかかるものと言えばよいでしょうか。僕たちは荒波の大海原に漕ぎ出すことなく、さざ波の湖に閉じこもってはいないか。このままでは、いずれはユニークな無形文化財になってしまうのではないか。大きな会社であったなら気づけたかもしれないビジネスチャンスを、みすみす逃しているのではないか。そうした思いが、頭から離れなくなっていたのです。
会社としてゆっくりと成長してきたものの、その時点ではまだまだ僕の個人会社にすぎなかったのかもしれません。それでは、またいつか僕個人の限界にぶち当たってしまう。チームとして一緒に働いてきた仲間も、僕らの事業を支援してくれるお客様や取引先も増えました。だからこそ、僕個人の限界で、みんなが集う「場」をなくすわけにはいかない。
ほぼ日はどんな会社かと聞かれたら、「場をつくる会社」と答えます。一貫してやってきたのは、おもしろい場をつくり、そこからおもしろいアイデアを生み出すことです。だからこそ、場の可能性をもっと広げたいと考えました。そこで株式上場という新たな選択肢を選び、2017年にジャスダック市場に上場することができました。
多くの人から「上場のプロセスは面倒で大変だったでしょう」と聞かれました。もちろん担当者は相当大変だったと思いますが、僕自身は審査プロセスやロードショーも含めた初めての経験がとにかく新鮮で、すべてのやり取りを楽しむことができました。特に意外だったのは、証券会社の人たちから「ほぼ日みたいな会社こそ、株式市場に入ってきてほしい」と言われたことです。上場承認後のロードショーでも、僕らが何を考えて何をやろうとしているのかを、機関投資家の皆さんが関心を持って聞いてくれました。
以前は、上場とは、ルールを守れるどうかを重箱の隅をつつくようにチェックされるというイメージを持っていましたが、実際は違いました。胸襟を開いて話をすることができましたし、共感してくれる人も多かった。もちろん上場した以上、ルール違反は論外ですが、自分たちの信じたやり方で前に進んでもいいのだと思えました。そのやり方が市場から支持されなければ、人気(株価)が下がるだけ。そう割り切ることができたのです。