やくざになるのも、歌手になるのもスポーツマンになるのも、すべてまずこの「家出」からはじめてみることです。

「東京へ行こうよ、行けば行ったで何とかなるさ」

――そう、本当に「行けば行ったで何とかなる」ものなのです。

――『家出のすすめ』

親を捨てる
精神的にきっぱりと縁を切る

 母一人子一人という場合、とくに子供の方に精神的弱さをもったものが多い、とフロイトは書いていますが、こんな場合、彼らは「親を捨てない」でいるからいけないのです。

 母一人子一人の場合にかぎらず、若者は一人立ちできる自信がついたら、まず、「親を捨て」ましょう。親を捨てる、といっても、背中に背負ってエッチラオッチラと姥捨山をのぼっていくということではありません。

 誰でも、わかれた奥さんには月々お金をはらうものです。それと同じように、自分を育ててくれた親にはたっぷりお金はあげた方がよろしい。(たっぷり、というのは自分の収入に応じて、自分と同等の生活ができる程度、ということです)

 そして、そのかわり、精神的にはきっぱりと縁を切ることです。

 そして一度縁を切ってしまって、親にかわって、恋人か奥さんと、新しい「愛情」を育ててゆき、それからふたたび親に、今度は「親に対しての友情」という新しい関係をもてばいいのです。

 コーピットのドラマの母親の、「世界は汚辱にみちているから、おまえには見せられない」という考え方は、現代の親にも共通したエゴイズムです。母親の愛情というものは酬いがないだけにかなしいものですが、とくに母一人子一人の場合のように、母親が子に恋人のイメージと息子のイメージを重複させてしまったりしていると尚更厄介で、コーピットもこの母親を食人魚ピラニアにたとえています。

 つよい青年になるためにはこうした母親から精神の離乳なしでは、ほかのどのような連帯も得られることはないでしょう。

 どうしても母親の愛をのがれられない人はキリシタンの踏絵のようなつもりで一度、自分の母親に「姥捨山につれていくぞ」と言ってごらんなさい。