20歳で重病ネフローゼが発症し、長く生きられないことを知りながら47歳まで生き抜いた劇作家の寺山修司。「集団に与すること」を嫌い、ひとりで生死に向き合ってきた寺山が綴る、親や故郷を「捨てる」ことの大切さとは。※本稿は、寺山修司『あした死ぬとしたら ― 今日なにをするか』(興陽館)の一部を抜粋・編集したものです。
歌は1人でうたうものだ
群れるな
私が会社へ勤めたことがないのは、並んで歩け、とか、この歌をうたえ、というような、何かを強いられることが嫌いだからだ。
だから私の劇団が非行少年にとって安息の場になりうるのは、イヌのような使命を負わされないという自由さにあるのだと思っている。私がある意図のもとに、角兵衛獅子の親方みたいに未成年をムチで打ちながら、やれやれ、とやっているわけでもない。
だいたい「隊」をつくることが嫌いなのだ。
愚連隊も隊がつきだすといいことはない。
修学旅行も団体ということが問題だ。
ぼくが労働歌よりも流行歌が好きなのは、流行歌は1人でうたうものだからだ。そういった意味から、デモは好かない。並んで歩くのはよくない。言ってみれば、デモとは、時間を限定した歩く会社みたいなものだと思う。
――『ぼくは話しかける』
少年時代には親を捨てて、1人で出奔の汽車に乗ったし、長じては故郷を捨て、また一緒にくらしていた女との生活を捨てた。
旅するのは、いわば風景を「捨てる」ことだと思うことがある。
――『書を捨てよ、町へ出よう』
問題は、むしろ、「家」の外にどれだけ多くのものを「持つ」ことができるかによってその人の詩人としての天性がきまるのであり、新しい価値を生みだせるのだ……と知ることです。
わたしは、同世代のすべての若者はすべからく一度は家出をすべし、と考えています。家出してみて「家」の意味、家族のなかの自分……という客観的視野を持つことのできる若者もいるだろうし、「家」を出て、1人になることによって……東京のパチンコ屋の屋根裏でロビンソン・クルーソーのような生活から自分をつくりあげてゆくこともできるでしょう。