ニコニコいい顔をしていたら
悪い人から舐められてしまう

 自分に失望していると、周囲の人から評価されたい。そこで体裁を構いすぎる。

 体裁を考えすぎるということは、悪く思われることを恐れているということである。自分で自分を悪く考えているから、人から悪く思われることを恐れてしまう。

 そうして表面的に立派そうに振る舞うと、質の悪い人から舐められるだけだということに気がついていない。

 愛情飢餓感の強い人は、自分が周囲の人にニコニコといい顔をすることで周囲にずるい人を集めてしまう。ニコニコといい顔をしている時に、周囲の人が自分をどのくらい舐めているかということに気がついていない。

 相手に気に入られよう、そして相手から保護されようと願う人は、現実の世の中では逆に相手から搾取されることがある。

 要するに悪い人に舐められてしまうのである。相手の保護を求めることで、自ら進んで犠牲者の役割を演じやすい。

 気に入られよう、そして保護されようと願うことでかかわってはいけない人とかかわってしまう。

 心をスッキリ整えるのに簡単なのは、捨てること。執着を捨てる。煩悩を捨てる。即身成仏。

 実際に執着を捨てるのは難しいが、執着のままでは心を休ませることはできない。

「100年経てばみんな死んでいる」、そう思って執着を断ち切る。

「捨てる」ことは新しい世界への入り口である。「捨てる」ことで再出発できる。何か毎日訳もなく不愉快で、イライラする。そういう場合には自分の中に捨てるべきものがあるのに、捨てないでそれにしがみついている。

「愛情に飢えている人」が不幸になるために努力してしまうワケ『人生の勝者は捨てている』(加藤諦三、幻冬舎新書)

「捨てる」ことが、その人の潜在的可能性を実現する準備をすることである。

 晩秋の銀杏の葉が木にしがみついている。落葉するから来春に新しい葉が芽生えてくる。

「捨てる」ことは、生きていくための自然の摂理である。「捨てる」べきものを捨てられないから、理由もなく落胆している。理由もなく腹が立つ。

 理由なきマイナスの感情は、再生へのベルの音である。心の世界で新しい朝が始まったのだから、ベッドから起きなさいという知らせである。