「愛情飢餓感の強い人」は
好かれるために自分を曲げる
愛されないで成長した人は、何も捨てられないし、誰も捨てられない。とにかく対象無差別に人から受け入れられたい。皆から好かれたい。誰でもよいから好かれたい。
自分で自分を認めていないから、人から認めてもらいたいのである。
そこで自分を無理に曲げて好かれようとする。
心理的に健康な人は「たった1人に受け入れられればよいではないか」と考える。
しかしそんなことは愛情飢餓感の強い人には考えられない。
愛情飢餓感の強い人には「別れる、捨てる」と言うことはなかなかできない。
愛情飢餓感の強い人にとっては、人も仕事も整理することはそれほど簡単なことではない。
しかし整理をしなければ、どんどんおかしな道に入り込んでいくだけである。
愛情飢餓感の強い人は不幸であるし、何よりも暗い。もちろん本質的に暗いことの反動形成として不自然に明るさを振りまいたりする。
また人前では無理をした空虚な明るさを演じる人もいる。
しかし誠実な人にはそれが見える。そこで避けられる。
ずるい人にもそれが見えてしまう。そして利用される。
そうして今よりもさらに不幸になるために努力してしまう。
愛情飢餓感の強い人は、努力をするのだけれども、どんどん違った道に入っていく。
自分を曲げて好かれるための努力をするから、努力すれば努力するほど周囲におかしな人が集まる。
そしてどんどん不幸になっていく。自分の周囲には変な人ばかりがいるということに気がつかない。