「資本主義に縛られたままの人生」で後悔しないために必要な視点
だが筆者の場合、学生時代に決めた「10年働いたらニュージーランドの大自然に移住して、資本主義から距離を置いて自給的な暮らしをする(実際は15年かかったが)」という明確なビジョンがあったため、ブレない「投資判断」が可能となり「浪費」に転ぶことはなかった。
何かにお金を払う時、必ず自分にこう問いかけた。
「これは、ニュージーランドに持っていけるか」
「これは、ニュージーランドで目指す暮らしにつながるか」
人生の優先順位に迷いがなく、取捨選択の基準がハッキリしていたので、無駄な買い物はせずに済んだ。
そして、移住後の自給自足スキルに直結する、釣りとアウトドアの技術、畑と植物の見識を高める努力は惜しまなかった。
同時に、「資本主義の本質=お金の仕組み」を把握すべく徹底的に勉強した。大金が飛び交うショービジネスの構造と虚構を観察しながら働くだけで多くを学べたが、さらに投資の本を読み漁っては、セミナーや勉強会に参加した(この2つの学びから「自給自足サイドFIRE ※1」という着想を得ることになる)。
なぜ「お金」の勉強をしたか。
資本主義への依存度を減らすといっても、完全に逃れることはできない。残りの人生の大半は、このシステムの影響下にあるだろう。そもそも世捨て人になりたいわけではないし、社会にはコミットし続けたい。
何よりも「期限付きで一度しかない人生に妥協したくない。自分自身と大切な人を守り抜きたい」という思いが強かった。
「資本主義に人生を預けるな」お金に縛られずに生きるための視点
「自然界と資本主義の世界を生き抜くため」という両極端な探求から得た知見は、今日までの人生を支え続けることになる。
「誰もが依存し、盲信している資本主義のシステムとは恐ろしいほど脆弱で、人生を預けるに値しない」
「誰もが依存し、破壊に加担している自然環境も悲しいくらいに脆弱だが、人生を預けて守るに値する」
いつの間にか、こう考えるようになっていた。
移住後に必要な「衣食住」のうち、「住」だけは自作する自信がなかったので、「自宅購入資金を貯める」という目標を持って働いていたことも大きかった。これが、無駄遣いのさらなるストッパーになったことは言うまでもない。
ちなみに「衣」は──今はひどすぎるが──当時から古着が有り余っていたので、お金はかからないと知っていた。
つまり、ただお金をケチる「節約」ではなく、自分の価値観で大胆にメリハリをつけてお金を使う「選択」をしていただけだ。我慢したり耐え忍ぶことなく、「自分の理想に向かって、自分の意思で選んでいる」という爽快な気持ちしかなかった。