
保険本来の趣旨を逸脱した節税保険の販売にのめり込み、金融庁から業務改善命令を受けたマニュライフ生命保険。主犯とされたのは旧経営陣だが、現経営陣もアジアからの要請に応えるために別の節税保険の販売を促進していた。現経営陣は節税保険の指南役と名指しした人物を懲戒解雇処分にして幕引きを図ったが、実は逆にその人物から提訴され、2024年10月にマニュライフが事実上の敗訴となっていた。特集『保険大激変』の#18では、その背景を探った。(ダイヤモンド編集部編集委員 藤田章夫)
マニュライフに戦犯とされ解雇された
M元支社長が事実上の勝訴
「マニュライフのM元支社長が面接に来たのですが、お断りしました。『申し訳ないですが、あなたを雇える会社は保険業界にはないと思いますよ』と言うしかありませんでしたね」
ある保険代理店の社長は、2年ほど前にそう話したと振り返る。外資系生命保険会社であるマニュライフ生命保険のM元支社長といえば、保険業界では知る人ぞ知る人物。というのも、このM元支社長は、マニュライフが行政処分を受けた際の“戦犯”の一人とされているからだ――。
2022年7月14日、マニュライフは「名義変更プラン」と呼ばれる節税保険の販売に過度に手を染めたとして、保険業法に基づく業務改善命令を受けた。主犯とされたのは、すでに退任していた前社長を中心とした旧経営陣だったが、その後もマニュライフは別の節税保険を販売していた。この節税手法を編み出して指南していたのがM元支社長だったとして、22年7月末に懲戒解雇処分とした。
この件は業界内ではよく知られており、金融庁に目を付けられることを恐れ、冒頭の通り、解雇されたM元支社長を採用する保険会社や代理店は皆無だった。まさに保険業界から事実上追放されたM元支社長だったが、実は、解雇は不当だとしてマニュライフを提訴していた。24年10月末に和解に至り、東京地方裁判所はマニュライフに懲戒処分を撤回、和解金をM元支社長に支払うよう命じた。事実上、M元支社長が勝訴した形だ。
では、なぜ一介の支社長にすぎないM元支社長が戦犯の一人にされ、懲戒解雇処分を受けたのか。そこには、現経営陣の思惑があった。