少数与党の新たな“国対モデル”で、自民は野党から3枚の合意文書合意文書に署名する(左から)日本維新の会幹事長の岩谷良平、自民党幹事長の森山裕、公明党幹事長の西田実仁(3月3日午後、国会内) Photo:JIJI

 元米大統領、リンカーンが残した格言がある。「急流で馬を乗り換えるな」。その格言とは真逆の「馬の乗り換え」で少数与党の首相、石破茂は当面の窮地を脱した。政権の行方を左右するほどの重みを持った来年度予算案は3月4日に衆議院を通過、成立を確実にした。

 キャスチングボートを握ったのは「103万円の壁」の見直しを提起して予算案の修正協議を引っ張ってきた国民民主党ではなく、教育無償化を求めた日本維新の会だった。「自公国」で始まった予算の修正協議はいつの間にか「自公維」にすり替わった。それを可能にした要因は地下水脈で複雑に折り重なった「人間関係」にあった。

 維新は昨年10月の衆院選挙で議席を減らした結果、代表が交代した。前代表の馬場伸幸が退き、大阪府知事の吉村洋文にバトンタッチされた。その吉村が共同代表に指名したのが、民主党政権で国土交通相などを歴任した前原誠司だった。この前原の起用が“化学反応”を誘発した。

 前原は石破が衆院解散を断行するまでは「教育無償化を実現する会」の代表を務めており、衆院解散とほぼ同時に維新に入党したばかりの“新参者”の共同代表だ。しかし国会議員ではない吉村には永田町の土地勘や人脈はないに等しい。そこで衆院当選11回を数える前原が必要だった。ここから「人間関係の妙」が始まった。