「あなたは臆病だね」と言われたら、誰だって不愉快でしょう。しかし、会社経営やマネジメントにおいては、実はそうした「臆病さ」こそが武器になる――。世界最大級のタイヤメーカーである(株)ブリヂストンのCEOとして14万人を率いた荒川詔四氏は、最新刊『臆病な経営者こそ「最強」である。』(ダイヤモンド社)でそう主張します。実際、荒川氏は、2008年のリーマンショックや2011年の東日本大震災などの未曽有の危機を乗り越え、会社を成長させ続けてきましたが、それは、ご自身が“食うか食われるか”の熾烈な市場競争の中で、「おびえた動物」のように「臆病な目線」を持って感覚を常に研ぎ澄ませ続けてきたからです。「臆病」だからこそ、さまざまなリスクを鋭く察知し、的確な対策を講じることができたのです。本連載では、同書を抜粋しながら、荒川氏の実体験に基づく「目からウロコ」の経営哲学をご紹介してまいります。

「心から好きなこと」に没頭する時間をもつ
「ストレス解消の方法は?」
私がブリヂストンのCEOを務めていた頃、ときどきメディアの取材を受けましたが、よく尋ねられた質問です。
たしかに、経営者の仕事は「24時間365日」ですから、そのなかで上手に気分転換をするのは、メンタル・マネジメントするうえでは大切なことです。
ただ、正直なところ、私には人様にわざわざお話するほどの「方法」があるわけではありませんので、私の話を聞いた記者さんたちは、おそらく「これで記事になるかな?」と思ったのではないかと思います。
私は学生時代に美術部に入っており、黙々と油絵を描くのが大好きでした。
だから本当は、休日には絵を描きたかったのですが、油絵をやると小さい家中すごい臭いがこもるので難しい。だから、面白い絵画展があれば、美術館に足を運んで楽しむのが一番のストレス解消だったように思います。
あとは「庭いじり」ですね。記者さんが気を利かせて、「ガーデニングが趣味」と見栄えよく書いてくれましたが、ごくごく小さな庭で草木の世話をしていただけですから、「庭いじり」というのが的確な表現です。だけど、どういうわけか、私は「庭いじり」をすると、仕事のこともすっかり忘れて没頭することができるのです。
没頭すると、いいことが起きる
だから、私は「好きなもの」「好きなこと」をもつことが、精神衛生上は非常に大切ではないかと思っています。
「好きなもの」に囲まれていたり、「好きなこと」をやっていると、ただそれだけで日常の雑事からは解放されます。
経営者は常に難問難題を抱えていますから、24時間365日延々とそれらと向き合っていると、知らないうちに気が滅入ってきます。だから、片時であってもいいから、完全にそれらから解き放たれる時間をもつことが大事なのだと思うのです。
それだけでも気持ちがリフレッシュして、新たな気持ちで難問難題に向き合うことができるようになりますし、一旦それらから離れたからこそ、それまでにはなかった視点で問題を見つめ直すことができ、天から授かるような感覚で「解決策」が見つかるようなこともあります。
誰かと比較する必要などない
要するに、没頭できる「趣味」をもつということですが、私がそうだったように、その「趣味」は誰かに自慢できるようなものである必要は全くありません。
私の経営者仲間のなかには、スケールの大きな趣味をもつ人もいました。自家用のヨットをもっていて、仲間を誘って泊まり込みでヨットを走らせるとか、小型飛行機を所有していて操縦を楽しんでいるとか、素直に「すごいな!」と思う趣味をもっている人がたくさんいらっしゃるのです。
だけど、その人たちは、そうするのが「心から楽しい」からやっているのであって、誰かに「自慢」したくてやっているわけではありません。
むしろ、もしも「自慢」したくてやっているとすれば、それはきっと精神衛生上よくないのではないかという気がします。
その意味では、ヨットや小型飛行機などの「すごい趣味」に没頭することと、私のようなチマチマした「庭いじり」が楽しくて没頭することは、精神的な次元においては全く同じことなのです。
大切なのは、心の底から楽しむことです。
そこには他者との比較は一切必要ありません。それよりも大事なのは、「自分が何を好きなのか?」「自分は何をやっていると楽しいのか?」を知ること。つまり、「自分」を知ることではないでしょうか? そして、自分の心が楽しんでさえいれば、どうということのない「普通の趣味」で全く問題ないのです。
(この記事は、『臆病な経営者こそ「最強」である。』の一部を抜粋・編集したものです)

株式会社ブリヂストン元CEO
1944年山形県生まれ。東京外国語大学外国語学部インドシナ語学科卒業後、ブリヂストンタイヤ(のちにブリヂストン)入社。タイ、中近東、中国、ヨーロッパなどでキャリアを積むほか、アメリカの国民的企業だったファイアストン買収(当時、日本企業最大の海外企業買収)時には、社長参謀として実務を取り仕切るなど、海外事業に多大な貢献をする。タイ現地法人CEOとしては、同国内トップシェアを確立するとともに東南アジアにおける一大拠点に仕立て上げたほか、ヨーロッパ現地法人CEOとしては、就任時に非常に厳しい経営状況にあった欧州事業の立て直しを成功させる。その後、本社副社長などを経て、同社がフランスのミシュランを抜いて世界トップシェア企業の地位を奪還した翌年、2006年に本社CEOに就任。「名実ともに世界ナンバーワン企業としての基盤を築く」を旗印に、世界約14万人の従業員を率いる。2008年のリーマンショック、2011年の東日本大震災などの危機をくぐりぬけながら、創業以来最大規模の組織改革を敢行したほか、独自のグローバル・マネジメント・システムも導入。また、世界中の工場の統廃合・新設を急ピッチで進めるとともに、基礎研究に多大な投資をすることで長期的な企業戦略も明確化するなど、一部メディアから「超強気の経営」と称せられるアグレッシブな経営を展開。その結果、ROA6%という当初目標を達成する。2012年3月に会長就任。2013年3月に相談役に退いた。キリンホールディングス株式会社社外取締役、株式会社日本経済新聞社社外監査役などを歴任・著書に『優れたリーダーはみな小心者である。』『参謀の思考法』(ともにダイヤモンド社)がある。(写真撮影 榊智朗)