20年間で4段階の
変遷を経た“中国感”

 2001年12月、厳しい交渉を経て実現したWTO加盟は中国では「入世」と称される。中国が西側先導の世界に加入した歴史的真実を表していた。当時国際世論を覆っていたのは「中国脅威論」であった。

 2005年9月、後に世界銀行総裁にも就任する米国務副長官ロバート・ゼーリック氏は中国を「責任ある利害共有者」(responsible stakeholder)とみなし、中国に対して融和的な姿勢を示すと同時に、自制の効いた責任ある大国としての振る舞いを促した。大国にはパワーや影響力だけではなく、責任や規範への遵守が伴うというワシントンからの戦略的圧力であった。この頃から、国際社会における対中世論は「中国責任論」へとシフトしていく。

 一方の北京は、2008年北京五輪、2009年建国60周年、2010年上海万博、2011年「入世」10周年・中国共産党設立90周年・辛亥革命100周年、2012年第18党大会という一連の「国家大事」に向けて、着々と準備を進めていた。

 自国開催の五輪で51個の金メダル、100個のメダルを獲得し、益々自信をみなぎらせる中国の対外政策はこの頃から強硬的になっていく。日本との関係においても、2010年9月には尖閣諸島沖で中国漁船衝突事件が発生し、中国政府は日本に対してレアアース輸出制限を含めた「制裁措置」を赤裸々に発動した。この頃からにわかに広がり始めたのが「中国異質論」である。その背後には拡張する中国の利益要求、強硬化する中国の対外政策を警戒する国際世論が横たわっていた。「中国強硬論」ともいえるかもしれない。

 過去の20年間において、台頭する中国を巡る国際世論は「崩壊論」→「脅威論」→「責任論」→「異質論(強硬論)」という4段階の変遷を遂げた。

 昨今、日本の政策決定者や有識者の間で議論される「米中再接近」(最初の「米中接近」は1971年ヘンリー・キッシンジャー国務長官極秘訪中に始まるニクソン対中外交戦略をここでは指すことにする)という文脈には、「米国と中国が日本を頭越しにして、経済政策や安全保障などの重大なアジェンダを巡って直接話し合って、ルールを決めているのではないか」というジャパン・パッシングへの懸念が滲み出ている。

 私は「米中再接近」は現実問題として発生していると感じている。2003~2012年まで滞在した中国、昨年夏から拠点にしているアメリカの地でも“それ”を感じてきた。しかし、“それ”を可能にしているファクターは「ジャパン・パッシング」や「日本軽視」といったものでは決してなく、米中間で産学官を基軸にした立体的且つ重層的な知的対話、及びそれに基づく相互理解の賜物だと私は考えている。

 フクヤマ氏と中国共産党をつないだ「世紀のプラグマティズム」という見えない糸は、米中双方の努力によって初めて結ばれた。その結晶が、2012年10月共産党第18党大会直前に中国で出版されたフクヤマ氏の『政治秩序的起源—従前人類時代到法国大革命』(広西師範大学出版社)に他ならない。