「日本から着手しない」という方針で最後までやり切る
大坪 少し視点を変えて、改革の障壁について伺います。富永さんは外部からDX推進の担い手として入社されていますが、こうしたケースでは、いわゆる社内の「抵抗勢力」に悩まされるという声をよく聞きます。アシックスではいかがでしたか。
富永 DXの推進そのものに対する抵抗はあまりなかったですね。「グローバルのワンシステムが必要」だとか「D2Cが遅れている」という認識は既に社内で共有されていましたし、そもそもアシックスには、新しい人や考え方を割とオープンに受け入れる文化があります。もちろん、経営会議のような場でDXのロードマップや目的をしっかり説明して理解を得るようにしていましたし、トップからサポートを得たことも大きいと思います。
大坪 当時、廣田社長(現会長)とどのような役割分担があったのでしょうか。
富永 バックエンドに関しては進捗報告をしていたぐらいですが、フロント部分についてはしばしば呼び出しがかかって、細かい戦略や施策を共有していました。そして、廣田社長自ら「デジタルドリブンカンパニーになる」と社内外に宣言してくれていたので、非常に進めやすかったですね。
大坪 D2Cを強化するという方針は、卸の顧客から反発を招きそうですが。
富永 なくはなかったですが、D2Cの強化によってビジネス全体が成長しており、卸の売り上げに関しては当社の売り上げ全体に占める比率が下がっただけで、金額としては伸びています。私たち自身もエンドユーザーとの接点が増えたことでいい緊張感が生まれましたし、ブランディングや収益の観点から、経験値に基づいた説得力のある情報を提供できるようになりました。
大坪 先ほど、かつてはグローバルで20以上のERPが稼働している状態だったのを、7年がかりで統合したというお話がありました。言語も商習慣も違う国々のシステムを統合するのは至難の業だったと想像しますが、この長期戦をスムーズに進めるためにどのような工夫をされたのでしょうか。
富永 ポイントは2つあります。まず、導入方針として最初に決めたのが「日本から着手しない」ということでした。具体的には、欧州から始めて、オーストラリア、中華圏、米国、日本という順番でシステムを実装していきました。
大坪 その狙いは?
富永 創業75年の歴史の中で、日本の仕組みが最も複雑化していましたから、最初に日本で作ってしまうと海外にそのまま導入するのは困難になります。資金と体力を要するプロジェクトですから、最も複雑な日本から始めてしまうと、途中で妥協したりして頓挫するということにもなりかねません。私はアシックスに入社する前はIT業界に35年も身を置いていましたから、そういう失敗事例をたくさん見てきました。
グローバルにシステムを統合するために、われわれが最も注力したのが「グローバルテンプレート」の作成です。これは、グローバルで統一されたシステム構築をスムーズに行うためのビジネスルールで、各リージョンのプロセスをテンプレートに合わせてもらうことで、全リージョンが同じシステムを使えるようになります。アシックスの精鋭に加えて、SAPの開発者にも入ってもらってじっくり作り込みました。
もう1つのポイントは体制です。外部のベンダーに丸投げするのではなく、できるだけ内製化する体制をつくりました。
大坪 「内製化」と聞くと、無秩序に独自の仕様を追求する「あしき日本らしさ」をイメージしてしまいますが……。
富永 DXによって経営変革を進める当社にとって、ITシステムはコアコンピタンスです。ですから、外部リソースや市場価格に左右されないよう、社内にしっかりアセットを置いて自分たちでやっていこうという考え方です。日本と海外では内製化の考え方が違うので、最初は人事にも難色を示されましたが、「絶対に必要」と主張してやらせてもらいました。
DXを成功させている海外企業の事例を見ても、やはり自社でプロジェクトをマネジメントし、テンプレートも自社で作成して対応しています。
大坪 このやり方であれば成功するという自信が最初からあったのでしょうか。

富永満之 代表取締役社長COO
とみなが・みつゆき●兵庫県神戸市出身。米カリフォルニア・ポリテクニック州立大学卒、米パデュー大でMBA取得。1987年アンダーセン・コンサルティング(現アクセンチュア)入社。96年日本IBM入社、2009年同社執行役員。13年SAPジャパン入社、常務執行役員。16年ワークスアプリケーションズ米国、代表取締役社長。18年アシックス入社。執行役員CIO、20年常務執行役員 CDO・CIOを経て24年1月社長COO、3月に代表取締役社長COO(最高執行責任者)に就任。
富永 CIOとして入社した以上、グローバルのシステム統合は最優先課題です。もちろん各リージョンで抵抗はありました。最初の欧州ではマルチカントリーということで非常に苦戦しました。
日本は日本で、やはり現場が優秀ですから「システムは変えずに現場で対応したい」という意識が強い。そこで、欧州でも米国でもちゃんと動いていて、売り上げも維持していることをデータで示して説得しました。やや強引だったかもしれませんが、ようやくちゃんと回るようになった今、改めて振り返ると、やはりグローバル最適で構築したシステムを移す、というやり方は正解だったと思っています。
大坪 そこにはやはり、日本IBMやSAPでの富永さんの経験が生きているのですね。
富永 IT業界での経験上、グローバルERPの導入を日本人だけでやるのは厳しいことは分かっていました。人財の問題というより、考え方がそもそも違うのです。日本では良くも悪くも現場が強く、お客さまに合わせて細かく最適化してしまう。全体最適を図るためには、少数精鋭のプロジェクトチームが運用方法から権限管理、メンテナンスまで「こういうやり方でいく」としっかり決めて、その通りに使ってもらうというやり方を貫くことが重要だと思います。