また、バブル期には日本で正規の注文をしても納車に時間が掛かったため、あえて逆輸入車を狙う人もいました。ホンダの「NSX」やトヨタの「セルシオ」(レクサス「LS」)などが代表例です。価格はものすごく高くなるのですが、そんなことは気にしない人たちが買っていました。セルシオは運転手付きのクルマとして使う場合、左ハンドルだと運転手が後席のドアをさっと開けられるので重宝されたという話もあります。
トランプ大統領に伝えたい「アメ車」の現実
キャバリエはトヨタが注力しても売れず…
さて、日本ブランドのクルマはいつから海外で生産されるようになったのでしょうか。振り返ればトヨタが1964年にタイで「ティアラ」(コロナ)と「スタウト」(ピックアップトラック)の、日産が1966年にメキシコで「ブルーバード」の生産を開始しています。
各社が70年代から本格的に海外工場進出を果たす中、ホンダは1982年に米オハイオで生産会社を設立し、ここで生産した「アコードクーペ」と二輪車の「ゴールドウイング」を1988年から日本に輸入し販売スタート。これが日本ブランド車の正規輸入販売の幕開けとなりました。ホンダはその後、「アコードワゴン」や「エレメント」などを米国から、「シビック」をイギリスから輸入販売しています。



トヨタは1992年から北米向け「カムリ」を「セプター」というネーミングで輸入販売しました。セプターはセダンとワゴン、2つのボディを持つモデルです。そして1996年、歴史上重要なモデルである「キャバリエ」を輸入販売します。
キャバリエは、米ゼネラルモーターズ(GM)のブランド、シボレーのクルマでした。トヨタはOEM供給を受けて日本で輸入販売するにあたり、単純にバッジを付け替えるのではなく、GMにエンジニアを送り込み、ハンドルを右に変更するなど諸々の改良を加えました。
トヨタがキャバリエに力を入れた理由は、実は最近の状況によく似ています。米国で日本車の人気が高く、日本ではアメ車の人気が低かったのです。この貿易摩擦を解消するためにトヨタが一肌脱ぎ、シボレー・キャバリエを日本向けに改良して輸入したというわけです。マーケティングにも力を入れ、CMキャラクターにはタレントの所ジョージさんを起用。全日本GT選手権のGT300クラスへの参戦も果たします。
キャバリエの新車価格は1996年発売当時、181万~205万円しました。その後、何度か価格改定され、最終型となる1999年型では149.9万~179.9万円にまで値下がりしました。他にも購入資金100万円が当たる大盤振る舞いのキャンペーンなども行われました。
こうした尽力にもかかわらず、販売は伸び悩み、当初予定よりも早く生産中止になりました。販売目標を達成できず、5年の契約期間を待たずに日本から姿を消す結果に沈んだのです。
最近、トランプ大統領は米国の貿易赤字を気にして、日本に「アメ車を買え」と要求しています。が、トランプ氏とその側近は、四半世紀前にこういった顛末が起きたのを知っているのか、筆者は疑問に思います。アメ車を日本の環境に合うように改良しても、そう簡単には売れないことはキャバリエが証明しています。

