襲撃事件有罪者恩赦が「制度の死」を象徴
米国民主主義に対する内側からの破壊行為
2020年のトランプ支持者による議会襲撃事件と、25年にトランプ大統領がこの事件で有罪とされた人々に対して行った恩赦は、アメリカにおける「制度の死」を象徴する重大な転換点だった。
司法によって有罪とされた者に対して、大統領が政治的思惑から恩赦を与えることは、法の支配の否定に等しく、三権分立の理念を踏みにじる行為以外の何物でもない。
暴力的手段で選挙結果を覆そうとした者たちを「愛国者」と呼び、その行動を免責するような措置は民主主義の根幹を突き崩すものだ。
これによって、選挙という制度の源泉が危機にさらされ、議会の権威は著しく低下した。形式上は立法・行政・司法の三権分立が維持されているかのように見えても、実質的には大統領の権力が突出しており、制度のバランスは破綻している。
アメリカ革命が確立した憲政的秩序は、いまや大統領の私兵的政治によって空洞化しつつある。これは単なる制度の劣化ではなく、アメリカ民主主義に対する内側からの破壊行為に他ならない。
アメリカのエリートは失敗した
「ソフトパワー」損失は国際秩序揺るがす
こうした視点から見れば、トランプ政権が科学研究を敵視し、大学を弾圧する意味がよく分かる。それらはエリート攻撃という意味で、必然性を持っていると考えることができる。
バンス副大統領のブレーンであり、ノートルダム大学教授であるパトリック・デニーンは、「自由主義エリートはアメリカを誤った方向に導いた。アメリカのエリートは失敗した」と述べている(朝日新聞5月20日付)。
こうした認識は、保守主義内部に広く浸透している。これに呼応する形で、トランプ政権は大学や研究機関を「敵」として扱い、科学的知見を否定する政策を取っている。こうした政策は今後もますます先鋭化するだろう。
ハーバード大学名誉教授で国防次官補などを務めた故ジョセフ・ナイは、トランプ政権の行動様式を「ソフトパワーの破壊」と評した(日本経済新聞5月3日付『ソフトパワー失うアメリカ ジョセフ・ナイ・ハーバード大学名誉教授』)。
ナイが定義したソフトパワーとは、軍事力や経済力とは異なるものであり、文化・価値・制度・政策といったものだ。
これらは「他者を魅了し、自発的に従わせる力」であり、アメリカの国際的影響力の核心をなしてきた。とりわけ民主的制度、法の支配、学問の自由、移民を受け入れる包摂性といった価値は、世界中の人々を引き付けるアメリカの魅力の源泉だった。
しかし、トランプ大統領はこうした制度的基盤を軽視し、それらを破壊する方向に動いてきた。反知性主義の台頭、裁判所への政治的圧力、大学の締め付け、移民排斥、そして国際協調の否定は、いずれもナイの言う「アメリカの魅力」を損なう行為だ。
これこそが「トランプ革命」の本質である。それは、アメリカ内政にとどまらず、自由主義的国際秩序そのものを揺るがす事態につながっている。
世界各国は、これまでアメリカの制度的安定を信頼し、協調関係を築いてきた。だが、そのアメリカが魅力と信頼を失えば、国際社会におけるリーダーシップは瓦解し、力による対立の時代へと回帰する危険がある。
そうだとすれば、この問題が世界に及ぼす影響は甚大だ。“トランプ革命”は、アメリカ国内政治の一時的な逸脱ではなく、世界の秩序を揺るがす深刻な転換点なのだ。
(一橋大学名誉教授 野口悠紀雄)